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カテゴリ:パリの小説( 3 )
ミシェル・ウエルベック『服従』
ミシェル・ウエルベックの『服従』を読んだ。
イスラーム同胞党というムスリムの政権が実権を握った近未来のフランスが舞台。
主人公はソルボンヌ大学で教鞭をとる中年教授で、19世紀のデカダンス作家ユイスマンスを専門としている。
文学に精通しながら孤独な性生活を送る彼が最終的にイスラム教に改宗するまでを描いた物語である。

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フランス国内でキリスト教の人口よりイスラム教が増えるという大きな出来事を契機に価値観が根底から崩される日常が淡々と描かれ、見えない透明な影が迫ってくるようで怖い。
現代政治を背景にしながらも、描かれるのは個人の内省的な世界。文学教授ならではの作家愛や、過去と未来に関する考察、宇宙の成り立ちなど知的な会話が満載のフランスインテリの世界が繰り広げられる。

日常の中に入り込んでくるイスラム教によって、彼の世界観は徐々に変えられていく。
そしてもはやキリスト教では自分の孤独は救われないことに気づく。
ムスリムの教授たちと交わされる会話の中で、宇宙に関する考察が出てくるのが興味深い。

わたしが言いたかったのは、宇宙は確実に、インテリジェンス・デザインの徴を帯びているということで、それは巨大な知性によって考えられたプロジェクトの実現なのです。

だいたい、どこにでもある星雲の広げた腕の先にある、無名の惑星の上に住むこの虚弱な生きものが、小さな手を挙げて『神は存在しない』などと主張するなど、少しばかり馬鹿げているところがあるのではないでしょうか。(ミシェル・ウエルベック『服従』)


宇宙は神が作ったものであり、知的で合理的なデザインによるものだということ。
そこに服従することで幸福が得られるというものだ。
人間が世界の中心ではなく、宇宙というデザインのほんの一部に過ぎないということだろうか。
そう考えると、イスラム教は非常に科学的な宗教のような気がしてくる。

ミシェル・ウエルベックの『服従』は、テロリストによるシャルリー・エブド社襲撃事件の当日に出版されたことで話題になり、また「イスラム教とフランス」という内容の現代性からフランス国内で大きな議論の的となった。日本でもメディアで取り上げられたが、思ったほど過激な内容ではなかったように思える。イスラム政権となった近未来フランス社会はたしかに刺激的な舞台だが、主人公の周りにあるのは恐ろしいほど静かな世界だ。それは一人の中年男の孤独な愛の物語であり、イスラム教という新しい愛の形を受け入れる時間である。
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by kou-mikami | 2015-12-11 08:15 | パリの小説
マルセル・ムルージ『エンリコ』
この前神保町の古書市へ行ったとき、ふと一冊の本が目に留まった。赤ワイン色の表紙にモノクロの写真が2枚載っている。まさかとは思ったが、やはりそれはウジェーヌ・アジェのパリ写真で、本には『エンリコ』という不思議なタイトルがつけられていた。小説の表紙がアジェの写真で飾られていることにただならぬ気配を感じ、買うことにした。このような発見があるからこそ古書市はやめられない。

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作者はマルセル・ムルージ。初めて知ったが、どうやらシャンソンの歌手でもあったようだ。日本では『ちいさなひなげしのように』という曲で知られている。小説のタイトルは主人公の名前だった。
物語はパリの貧民街ベルヴィルで生きる少年エンリコの日常を描いたもの。心の優しい主人公の貧困と周囲からの隔絶という意味では、エマニュエル・ボーヴの作品にも通じるものがある。しかしエンリコにはボーヴの主人公のような暗さはない。暴力を振るう母親、アル中の父親に挟まれながらも、絶望的な環境の中で文句も言わずに必死に生きるエンリコは信じられないほど強い気力の持ち主だ。

ところで私は舞台となったべルヴィルに興味を持っている。パリに住んでいたころにはよくそこへ出かけ、朝市でリンゴを買ったりした。現在は貧民街というよりは移民街だが下町の雰囲気は昔と変わらず、当時も現在と似た部分はあったのだろう。パリの貧民街というだけで私はその世界に入ってみたくなるし、そこにある孤独や貧困の心象風景がまさにウジェーヌ・アジェの写真と見事に重なり合っている。本の中にも3枚だけだがアジェの写真が挿絵のように挿入されているのも嬉しく、それは図解というよりは物語に完全に溶け込んで小説の一部になっているように思えた。
文体は無駄をそぎ落としたシンプルなもの。ヘミングウェイの文体を学んだらしく、たしかに似ている。しかしヘミングウェイに詩的な描写を追加したような感じでもあり、風景描写はまさに子供の目から見たパリの風景で心に残る。

煙突のなかに、猫に似ているものがある。そうなんだ。屋根々々の上にいつも足りないのは、この無数の猫なんだ。ぐるりの風景は、いつでも同じ曲の流れだすレコードに似ている。あちこちの、重々しい記念碑や建物が、夜番みたいに、町を守っているように見える。向こうには、山々が色つきの絵のように浮かびだし、さらにその背景を、悲しげな、いくつもの白い雲が、別れの時の白いハンカチのように、流れて行く。


まさにシャンソン歌手だからこそ描ける秀逸な表現だろう。子供ならではの独特の視線でパリを見ているのが新鮮。また物語の中の時間はどんどんと流れる急流のようでもあり、一日で区切られることなく毎日続く日常が子供の目線で地続きのように語られているのも面白い。印象に残ったことだけで人生ができあがっているような感じだ。

そしてエンリコ少年の日常には貧困だけではなく、親から受け継がれた「血」の存在が暗い影を落としている。そこが小説の核となり、アルジェリア移民の子である作者マルセル・ムルージの生い立ちにも関係してくる。エンリコの父親はアルジェリア人、母はフランス人のようで、常に母親から虐待を受けている。それはエンリコがアルジェリア人である父親似であるためで、母親はアル中の夫を憎んでいるが故に、父に似ているエンリコをも憎しみの目で見ている。反対にエンリコの兄は母親似のため虐待を受けることなくかわいがられている。

「どうしてなんだろうねえ、おまえが兄ちゃんのように、青い目をしていないのは?え、そうだろう、黒ん坊や?」


母親のこのセリフは理不尽以外のなにものでもないが、それこそが人間の中にある人種的偏見なのかもしれない。差別はとんでもなく理不尽であるが、確実に人間の中に存在するものだ。母の父親に対する憎しみは父がアル中であるせいなのか、移民であるせいなのかは分からない。しかし、その憎しみにはすさまじいものがある(毎日両親の死闘のような喧嘩が繰り広げられ、エンリコはその被害を受けている)。エンリコ少年はそれをよくわかっていて、母親に憎まれていることを心の中で何度も嘆く。

『ああ、なぜぼくは父ちゃんと同じ顔に生まれてきちゃったんだ』とぼくは思う。『母ちゃんがぼくをきらうわけは、父ちゃんと似ているからなのだ。さて、今夜はどこへ行って寝よう?また墓場みたいな空き地へ行くか?』


また一番ひどいのは兄と弟を完全に差別化している母親の態度だろう。この小説では主人公の兄の存在感は驚くほど薄いが、たまに登場する兄はとにかく母親の兄に対する露骨な贔屓を見せるためだけに存在しているようでもある。たとえば次のような文章がある。

ぼくの耳に、階段をのぼってくる兄ちゃんの足音が聞こえた。しばらくして、ドアがあく。『助かった』と、ぼくは思った。母ちゃんは兄ちゃんにキスし、両手で兄ちゃんの顔をはさんだ。「かわいい子だよ」と、母ちゃんはやさしくいう。「おまえは青い美しい目を持っているんだね!」そして狂おしくキスをする。
やがて、顔を上げると、母ちゃんは不快そうにぼくを見すえ、
「一発くらわしておやり」
と、僕を指さしながら、兄ちゃんにささやいた。兄ちゃんはぼくに近づくと、ぼくをぶんなぐった。ぼくはベッドの足もとのじゅうたんの上にころがる。兄ちゃんと母ちゃんは一緒に笑いだした。できるものなら、ふたりを苦しめるために、この場で死んでやりたい、ぼくはそう思ったほど、ふたりに対して腹が立った。さも痛そうなようすをして、一度ぼくは顔をあげたが、ふたたびばったりと倒れる。ふたりの笑い声が腹にずんとこたえ、僕は恥にまみれる。気を失ったふりをしながら、頭の中で犯罪現場を思い描いた。


しかし驚くのは母親からこれほどひどく憎しみを持たれながらも、母親を恨むことなくただ耐えて生きるエンリコ少年の生命力だ。これは読んでいて信じられないほどで、またこの小説が単なる貧困の悲しい物語ではない点でもある。彼は彼なりに家族を愛し、そして正しい生き方はどこにあるのだろうと模索しているのだ。

『この世の中で、狂っていない生き方というのは、どうすれば見つかるのだろう?』と、ぼくは思った。『父ちゃんも母ちゃんも、死人のようだ。そしてぼくは、ふたりを思い出として愛している。いったいぼくはなにをしたらいいんだ?だが、そんなことはどうだっていい。若いくせに老人のように将来を思うなんて、ぼくはまっぴらだ。メンドリが、母親らしく喘息病みの幼な子を、ひなのようにかかえこんでいようと、父親が、父親の仕事をちゃんと続けようと、若者が夢想にふけろうと、また小さな信者が神を信じようと、要するにこのぼくは生きているんだ!』


エンリコ少年はこんなにも強く愛情深い。ひどい両親と一緒に暮らしながらも2人を愛し、また同じ貧民街に住む少女に恋したりもしている。父親に連れられてモンマルトル界隈の活気あふれる酒場に行ったりしてアル中の父親の看護をしたりする場面は滑稽でもあり面白い(たいていは父親が酔っぱらいすぎて、母親にひどく怒られるパターンだが)。それは世界のどこにでもいる少年と同じ姿だ。ところで酒場で子供のメニューとして出されていたグレナデンは、ザクロのシロップのようだが、それはパリの酒場の定番ドリンクなのだろうか。

下町にあるのは憎しみだけでなく、同じだけの愛情もある。暴力的な母親もエンリコを憎むだけでなく、それ以上に息子を愛していることが分かる。やはり血のつながりというのは憎しみだけでなく、愛をも呼び起こすものなのだろう。日常でエンリコを殴りながらも、急に優しく抱きしめたりクリスマスにはプレゼントをくれたりするのだ。しかし、このような愛と憎しみの繰り返しの生活は穏やかではなく、疲れを感じさせるものでもある。エンリコ少年の人生のような、これほどまでに憎しみと愛の混ざり合った物語はなかなかないだろう。

この小説は1943年に発表されたという。狭く汚いアパルトマン、罵り合う隣人たち、アル中の父親に暴力的な母親。この時代のパリのべルヴィルはこんな風景が実際にあったのだろうか。パリの下町はますます興味深い。読んでいて思い出したのはレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』(1959)。あちらもパリを舞台に子供を主人公にした小説だが、ザジがコメディの要素が強くシュルレアリスム的であるのに対し、エンリコはより現実的であり、事実作者の実体験にかなり近いのだろう。ラストは作者の生い立ちと重なって悲しい結末であるが、まるで愛と憎しみの具がごった煮になったどんぶりのような小説である。
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by kou-mikami | 2015-11-08 18:19 | パリの小説
悲劇的な友情 アンヌ=ソフィ・ブラスム『深く息を吸って』
人は過ちを犯した時、それを告白することで楽になりたいと思う。

アンヌ=ソフィ・ブラスムの『深く息を吸って』を読んだ。
裏表紙に書かれた「第2のサガン」というキャッチコピーに惹かれて
手に取った小説だが、これはまさに孤独なパリジェンヌの
告白の書というべきものだった。

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作者のアンヌ=ソフィ・ブラスムは1984年生まれ。
フランス東部の町メッツに住み、17歳の時にこの小説でデビュー。
フランスで出版されベストセラーになったそうだ。

10代特有の純粋さと透明感を見事に描いていて、
それゆえの孤独で狂気的な世界が、自分の過去の痛みと伴って
強い共感を持つ作品だった。


【ストーリー】
19歳の少女シャルレーヌは殺人の罪で刑務所に入っている。
彼女は苦しみを吐きだすように、人を殺すに至った経緯を読者に語っていく。
まだ記憶の不確かな幼年時代から、小学生、コレージュ、リセでの
孤独な生活、初めての恋、そして殺人を犯した日の夜の闇まで。

「わたしの幼年時代はほかの子とは違っていた。浮かれ騒ぐこの世の中で、
わたしは自分だけの独自の世界しか感じ取れずにいたのだ。
おそらくこんなふうに孤独を必要としていたことや、他人に理解されずにいたことが、あるときはじめてわたしを"書く"ということにつき動かしたのだろう。」

前半はどこにでもいる内気な少女の回想録といった感じで、さほど意外性はなかった。
しかし主人公がコレージュ(中学校)でサラという女性に出会ったことで、
物語は徐々に狂気的な闇に支配されていく。
生涯の親友だと思っていたサラとのあまりに美しい思い出が綴られるが、
サラは友人のふりをしてシャルレーヌを利用していただけだった。
しかしシャルレーヌはサラの友情を盲目に信じて彼女を慕い続ける。
そして彼女の中でそれは次第に憎しみと狂気に変わっていく。

「普通の人のようにふるまおうと努力しても、自分自身の狂気からは逃げられない。
だって、狂気は何よりも強いのだから。
だから遅かれ早かれふたたび顔を出してくる。お手上げだった。
狂気を鎮めるには、真正面から向きあい、
その命令をひとつひとつ実行していくしかなかった。
結果がどうであろうと、それは問題ではなくて、
実行に移すことで、ようやく狂気から解放されるのだった」

彼女にとって殺人は実行しなければならない問題だった。
彼女の中に狂気が少しずつ生まれていく過程が緻密に描かれ、
彼女の恐ろしい計画を誰も止めることはできない。
それでも彼女の行動を何度も食い止めたいと思うほど
彼女の心の悲しみが自分のことのように伝わってくる。
10代ゆえの残酷な友人関係が起こした悲劇だが、
これは誰の心の中にもある普遍的なものなのかもしれない。


【書くことの意義】

主人公シャルレーヌの孤独で繊細な感覚がよく伝わるエピソードがある。
彼女は8歳の時に親からノートを買ってもらう。
そして彼女は今までの孤独を癒すかのように、自分の世界を
そのノートに書き込んでいく。

「書くということは喜び以上のものであり、単に必要だという以上の意味があった。そして現在もなお、わたしの真実であり、明白な現実に対する、私にとっての唯一の防衛手段なのだ。」

これはおそらく、作者アンヌ=ソフィ・ブラスムが小説家になることを決めた
理由でもあるのかもしれない。
彼女はインタビューでも主人公の一部は自分に似ていると語っている。

「Respireは自伝ではないけれど、サラとの悲劇的な友情を語るシャルレーヌと私は
どこか似たところがある」


【狂気に勝つことはできない】

『深く息を吸って』はパリに住む孤独な少女の物語。
彼女が歩む孤独の世界はつらすぎるものだけど、
初めて人を愛することの素晴らしさを知った彼女の喜びにはこちらも胸が熱くなる。

しかし彼女は自分の中にある狂気に打ち勝つことはできず、
幸せを全て捨てて恐ろしいラストへと突き進んでしまう。
しかし彼女にとってはそれがやらなければならない「正しい道」だった。
世間的に悪を働いても、彼女の世界の論理で言えば「私は勝った」となる。
それが自分の人生にとって幸せではない道だとしても。

彼女は独房を出た後、どんな人生を歩むのだろうか。
これはあまりに純粋な世界を描いた悲劇的な友情の物語だ。


アンヌ=ソフィ・ブラスム『深く息を吸って』
"Respire"(2001)
Anne-Sophie Brasme
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by kou-mikami | 2014-04-12 07:58 | パリの小説



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