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ダヴィド・フェンキノス『ナタリー』
久しぶりに現代フランス作家の恋愛小説を読みました。
読みやすい文章、軽やかな文体、物語と関係のない断章の数々、
いかにも女性に好まれそうな現代作家といった感じです。
ネットで見る限り、日本人女性読者の評価は高いようですね。

最初の数ページはよくある恋愛小説かなと思っていましたが、
その後大きな喪失を経験した女主人公の心理が非常に細やかに描かれ、
また彼女を取り巻く登場人物のコミカルさが非常に面白く、惹きこまれました。
主人公たちの映像が頭に浮かび、映画を観ているような感覚でした。

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【ストーリーについて】
幸せな結婚生活をしていたパリに住む女性ナタリー。
しかしある日夫のフランソワを交通事故で失くします。
その後、深い喪失感を抱えながら自宅にひきこもっていましたが、
ある日会社に復帰してひたすら仕事に打ち込む毎日が始まります。
しかし彼女の心は以前と同じで固く閉ざされたままでした。
会社の社長シャルルの誠意とセクハラの交じった誘惑にも無反応で、
バーで出会ったいい感じの男性との夜も自分から逃げてしまいます。
もう仕事以外の何も彼女の関心を引き付けることはできませんでした。
しかしあるときオタク気質で冴えないスウェーデン人の部下マルキュスが
彼女のオフィスに入って来た時、彼女にある変化が生まれます。

この小説は平凡な日常とどこにでもありそうな恋愛を扱っていながら、
心理描写と一見意味のないディティールを巧みに配置することで、
読者に先へと読ませる力を持っています。
後半からの展開はあまりに唐突で奇抜なストーリーだと思いましたが、
普通の恋愛小説とは全く異なる状況が反対にリアリティを感じさせます。
読み終わって、この物語の伝える視点の面白さに気付きました。

【喪失のあとにやってくる変化】
この物語は人間についての鋭い観察記録とも言えます。
深い喪失で苦しみを持っている人は、もう何かを楽しんだり幸せを感じたりすることが
難しいと思えてしまうことがあります。特に親しい人を失った時には。
しかし人間の身体は常に変化をしています。
心は閉ざされていても、生命としての身体が自分自身を
あるとき次の人生へ突き動かしていくことがあるのかもしれません。
そんな可能性を感じさせてくれたのが『ナタリー』でした。

【3人の視点から描き、男女の心理を両側から描写】
またこの小説の面白いところは、心理描写の主体が変わることです。
もちろんナタリーが主人公なのですが、部下マルキュスや社長シャルルの
視点からみた男性心理の変化も描かれていて、
愛する女性を得ようとする男性の滑稽なまでの思考や行動が興味深い。
履歴書の写真を見た時からナタリーを気に入ってしまった社長シャルルは、
様々な策を使って夫を失ったナタリーを誘惑します。
しかし最終的にはナタリーに拒絶されて絶望の淵に落とされます。
しかしその悲しみによって、彼には新しい変化と今までにない感情が生まれます。

【フランス企業内のコメディ】
また『ナタリー』は企業内のコミカルな人間模様を描いた小説としても楽しめます。
スウェーデンと取引のあるフランス企業が舞台ですが、
出てくる人物はどれもキャラクターが立っていて、漫画の人物のようでもあります。
セクハラをする社長に噂好きの部下など、だいぶ誇張されているようにも見えますが
フランス人にはこのような人がいるだろうなというリアルさも感じさせます。

【小説に登場する音楽と文学】
小説の中に実在の音楽や文学、映画が登場することも印象的でした。
主人公と亡き夫の思い出の曲として
アラン・スーションの『逃げ去る愛』が出てきます。
これはフランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルシリーズの
最後の作品『逃げ去る恋』(L'Amour en fuite/1979)の中で流れていたもの。
個人的にこの映画シリーズが好きなので、ナタリーの存在が
すごく身近なものとして感じることができました。
また彼女が読んでいた小説はコルタサルの『石蹴り遊び』。
幻想作家の長編を読む女性、一筋縄ではいかない感じが伝わってきます。

読後感としては、とても読みやすい恋愛小説でした。
なんだか最近の恋愛映画を観たような感じで、
登場人物の滑稽なキャラクターや目に浮かぶような描写も映画的です。
しかし決して軽い小説ではなく、そこに含まれる人間への観察眼は
まさにフランス小説といった深い味わいがありました。

ちなみにオドレイ・トトゥ主演ですでに映画化されており、
原作者ダヴィド・フェンキノスが弟と共同で監督をしています。
こちらも是非観てみたいと思います。

『ナタリー』"La Delicatesse"(2012)
ダヴィド・フェンキノス著
中島さおり訳
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by kou-mikami | 2013-08-30 19:07 | パリの作家・芸術家
アメリー・ノートン『チューブな形而上学』
ベルギーの作家アメリー・ノートンの小説『チューブな形而上学』を読みました。
生まれから3歳までの記憶を元にした驚くべき物語(自伝)です。

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デビュー作『殺人者の健康法』を読んで以来、
彼女の作品の独創的な世界観に毎回魅せられてきました。
あまりにミニマルで深い世界を独自の理論で掘り下げて真理へと導く彼女の作風は
ヨーロッパで最も人気のある作家と言われ、新作が出るたびに注目されています。
外交官を父に持つアメリーは、5歳まで日本で暮らしていたそうで、
日本への強い想いが描かれた小説が多いのが特徴です。
日本企業を舞台にした『畏れ慄いて』は映画にもなりました。

今回の『チューブな形而上学』も日本が舞台です。
場所は彼女が幼少時代を過ごした大阪の夙川。
自分がこの世に生まれてから3歳までの自伝という形をとった信じられない小説です。
ほとんどの人間が記憶の外にあるはずの3歳児までの世界を
彼女はなんとも哲学的に語っています。
どこまでが本当のことなのか分からないほど、物語は理論的であり驚異的です。

「はじめに無があった」という書き出しで始まりますが、
これは新約聖書の書き出し「はじめに言葉があった」と掛けています。
おそらく世界の始まり、宇宙の始まりを意味するのでしょう。
たまに子どもとは宇宙からやってきた生命なのではないかと感じることがありますが
もしかしたら本当に一つの新しい宇宙が体内に潜んでいるのかもしれません。
生まれたばかりの頃、主人公は自分のことを「神」だと信じ、「無」であることに満足していました。

「神は完璧なる充足であった―
何も欲さず、何も期待せず、何も知覚せず、何も拒絶せず、何に対しても興味がなかった。」

つまり彼女は存在するだけの存在で、周りの世界には全く無関心だったのです。
泣き声もあげなければ手足を動かすこともせず、周りの世界を見ることもない。
ただ体内に栄養を摂取し、排せつするだけの生き物。
タイトルにある「チューブ」とはそんな「入れて出すだけの状態」からきています。
これは通常の人間の子供ではありえない異例のケースです。

何に対しても反応せず動くことさえしない主人公を両親は心配し、医者に見せますが解決はしません。
人間としての特徴を持たない主人公に対して、両親は彼女を「プラント(植物)」と呼びます。この辺りはアメリー・ノートン独特のブラックなセンスです。

彼女は人生の約2年間をこのような無として過ごします。
そして生まれてから2年半が経ったある日、
ベルギーからやってきた祖母がくれたベルギー産のホワイトチョコレートを食べることによって、世界は素晴らしい知覚に満ちていることを初めて知ります。
具体的なお菓子が、彼女を人間の世界に連れて行ったという事実が面白いです。

「喜びというのは素晴らしいものだわ。だってわたしが『わたし』だってことを教えてくれたんだもの」

彼女はホワイトチョコレートの甘みによって自分を獲得したのです。
この視点については、人間の存在について深く考えさせてくれます。
自分とは何か。それはおそらく今この場所で知覚している状態そのものなのでしょう。
世界に対して寒いと感じたり暑いと感じたり美味しいと感じることこそ
自分の存在を教えてくれるもっとも確かな証拠です。
美味しさを発見することは自分を発見すること。
それほどまでに味覚とは大事なものなのだと改めて実感させてくれるエピソードです。

2歳半にしてようやく人間となった主人公はその後
ベルギー人の両親、兄と姉、優しい日本人家政婦のニシオさんに囲まれながら
様々な興味をもって周りの世界を知って行きます。
この辺りから家族の日常生活がユーモアをもって描かれ、
コメディ的な要素が詰まったエピソードがいくつも挟まれます。
特にベルギー人の父親が仕事の合間に「能」を習い始めた下りは非常に面白いです。
ベルギー人から見た日本文化という視点でもこの本は非常によくできています。

主人公は通常の子供と同じ、いやそれ以上に世界に関心を持ち成長していきます。
外交官という父の仕事に興味と疑いを持ち、海水浴場で死への恐怖を体験し、
鯉という口を開けて餌を待つ魚の醜さを嫌悪し、本を読んで言葉の持つ力に感動します。

「本の中で『猫』という単語を見たら、
それは私の知っている近所の美しい目をした猫とは違う猫のことだ。
けれども本の中のその単語は、わたしに近所の猫が見せてくれた眼差しを思い起こさせ、
その猫に見つめられた時のような喜びを与えてくれる。」

しかし3歳になったある日、世界は大きく変化します。
大好きだった家政婦のシニオさんが辞めると言い出した時、
世界はいつか壊れることを初めて知ります。
そして、いつか日本を離れなければならない事実も知ってしまいます。

「与えられたものは奪われてしまう。ある日、ある時、何の理由もなしに、
恐ろしく厚かましい力があなたの人生を襲うのだ。」

3歳にして人生の空しさを感じた主人公の思考能力に驚きます。
美しい季節は二度と戻らぬことに悲観し(まだ四季が巡ることを知らない時期です)、
池で餌を待つ鯉の口に人間自身への不快感を感じとります。
結局人間は何かを呑み込んでは空になるチューブのような存在でしかないことに空しさを覚えます。
そしてある恐ろしい事件が起こります。

この物語で展開される彼女の思考は、3歳児にしてはあまりに高度で繊細すぎる気もします。
しかしもしかしたら自分が覚えていないだけで、
3歳までの人間は通常とは異なる鋭敏な感覚を持っていたのかもしれません。

「三歳という年齢では、あなたはまるで火星人だ。初めて降りた地球で発見したものに魅了され、同時に恐れを抱く。前代未聞の不透明な現象を観察するが、そのどれもが理解できない。
あなたは自分自身の観察の結果に基づいて、自分だけの法律を創案しなければならない。」

生まれてから3歳までの記憶を元にした物語。かつてこんな小説はありませんでした。
今までにない新しい世界を作り出すことが小説の役目だとしたら、
彼女の小説は完全な成功を収めたと言っていいでしょう。

まだ記憶の外にある存在だった自分を掘り起こすような体験をしたい方には
おすすめの小説です。
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by kou-mikami | 2013-08-24 09:21 | パリの作家・芸術家



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