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エリック・ファーユ『長崎』
フランスの作家エリック・ファーユの『長崎』を読みました。
2010年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞した小説の邦訳です。

数年前に日仏学院で彼の講演を聴いて以来ずっと気になっていたのですが、
その邦訳が2013年の秋に出版。ようやく読むことができました。
長崎に住む独り暮らしの男に起きた不思議な事件に関する物語。
平凡な日本人を主人公にした今までにないフランス小説です。
久しぶりに新しい世界を堪能しました。

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【ストーリー】

長崎市にある気象台で働く独身の中年男性シムラは
市のはずれにある一軒家で真面目で規則正しい生活をしている。
毎日同じ電車に乗って職場に行き、観測所のデータを解析する。
仕事が終われば同僚と飲むこともせずに帰宅する日々。
しかしある日、冷蔵庫のジュースが微妙に減っていることに気づき、
不審に思った彼は部屋に監視カメラを取り付ける。
そこに写っていたのは一人の見知らぬ女性だった。


【日常の中にふと開く穴をリアルに描く】

もし昼間は誰もいないはずの自分の家に、誰がいたら。
部屋にとりつけたカメラに、誰かが部屋の中を動くのが映っていたら。
あなたはどう感じるでしょうか。
恐怖、不審、不安。おそらく最初はそのような感情を持つでしょう。
しかし、しばらくするともしかしたら、そこに
もう一つの人生を見るかもしれません。

実際に合った新聞の三面記事に着想を得たこの物語は、
元ジャーナリストであった著者エリック・ファーユならではの
簡易でリアリティのある描写で読者を不思議な日常世界へと引き込みます。
そして小説全体がフランス文学ならではの深い暗喩に満ちています。
日常に空いた穴から人生の本質を探る静かな物語。


【フランス人から見たミニマルな日本社会を描写】

また小説の脇を固める設定も面白い。舞台はなぜか日本の長崎。
気象台で働く中年の独身男性が主人公というのがいいですね。
文章も読みやすく、フランス人から見た日本の生活も面白い。
日本のコミカルな部分やミニマルな日常風景が描かれる。
カウンターしかないトリスバーや炊飯器や弁当などの小道具を出すあたりに
著者の日本への愛着が感じられます(著者は日本映画をかなり観ているようです)
日本好きなフランス語圏の作家では他にアメリー・ノトンがいます。

フランスでアカデミー・フランセーズ賞をとった『長崎』。
フランス人から見るとエキゾチックな舞台設定なのでしょうか。
しかし単に異国情緒だけではない、ミニマルで深い世界が描かれています。


【平凡な男の人生をミステリー仕立てで人間の本質に迫る】

小説『長崎』はミステリー仕立てでありながら、
決して解決のできない人生の空虚さが描かれています。

主人公シムラは一軒家に独りで住みながら、変化のない生活を好んでいます。
しかしそこに女が現れることによって、彼は生活を脅かされれます。
しかしそのせいで自分の生活を省みるようになります。

彼女が自分の家に侵入したことに憤りと不審を抱きながらも
彼は彼女の痕跡が部屋のどこかに細胞レベルで残っているのだと思い、
そこに何かを感じ取ろうとするのです。

「女は炊飯器の上に指紋だけでなく、きっと死んだ細胞をも
残していったに違いない。(中略)その物理的特性はわたしたちにはまだよくわかっていないが、クォークや陽子はあらゆるものの鍵を持っているのだ。」

そして、平凡で孤独だった自分の人生に起きたこの事件について
深く考えるようになります。

「わたしの家で起こったことを、ある日、どうしても理解しようと望むなら、
おそらく今日からでも化石のような細胞を拾い集め、それらを研究しなければならないだろう。」

人間はいつでも一人きりの世界で生きているように思ってしまう。
それが人が孤独を感じる理由だろう。
しかし、あるときそうではないことにふと気付く瞬間がくる。
今自分のいる場所には多くの人の痕跡が残っているはずであり、
それは誰に伝わることなく漂い続けているのかもしれない。
そしてその痕跡を見つけることで、
自分自身も知らないうちにその場所に痕跡を残し、
変化していっているという事実を知る。

「その年はわたしを変化させつつあるということ、
そしてすでにしてわたしがもはや完全に同じ人間ではなかったということを
わたしは理解していた。
いかなる点での変化であったのか、それを定義することができなかっただろう。
しかし、その変化からまったくの無傷のままで出てくることはできないだろう。」


【もう一人の主人公】

この小説のもう一人の主人公は、彼の家に侵入した女です。

家を失った失業者の女がさまよう人生は、
平和でも意味のある人生でもなく、本当のあからさまな意味のない人生として
読者の前に提示されます。
それはいつかは過去となって消えていく人間の生活であり、
人生に意味などないという悲しみです。

「わたしに確信の持てたことがひとつあるとすれば、それはこれです。意味は存在しない、つまり、意味は前もって存在していなかったということです。意味の観念は、自分の不安に軟膏を塗ろうとして人間がでっちあげたものです。」

しかし主人公の男の家に侵入したことによって
彼女はかつての自分を思いだし、一時的に人生を取り戻します。
それは子供時代の自分の痕跡であり、
再び生まれた場所に戻ってきた鮭のような生物的な円環でした。


【タイトルの「長崎」の意味】

小説のタイトルは『長崎』。もちろん日本の長崎を舞台にしているからですが、
そこにはそれ以上の意味が込められているように思えます。

小説の中で長崎は「外部からの侵入者を受け入れる場所」という意味で
使われています。

自分の家を日本列島にたとえ、家の一番奥にある部屋の押し入れを長崎の出島に
たとえる比喩はなかなか面白いです。
オランダ人という外部の異人が知らないうちにやってきたように、
彼の家に闖入した女も、知らないうちに彼の人生に現れた。
それは恐れや不安であり、新しい世界の始まりでもあったはずです。

「そして江戸幕府は、その二世紀半もの間、ヨーロッパというひとりの密航者が
その衣裳部屋に棲みついたことを、いわば知らないふりをしていた・・・。」


【人間それぞれの帰る場所】

私はこの小説を読んで、自分にはどこかに帰る場所があるのだろうかと思った。
たとえば昔住んでいた家がもう誰かのものになっていたり、壊されてなくなっていたら
もう戻ることはできない。
それでも、いつかそこへ行きたいと思った。

「わたしは、だれでも自分の過去の記念の地に好きな時に戻ってくることができるという不可侵の権利があることを、世界中のすべての憲法に書き込むべきだと思います。
そしてひとりひとりに、その子ども時代が演じられたすべてのアパートや家や庭に近づくことを可能とする鍵束を預け、そうした思い出の冬の宮殿に何時間も留まることを許可しなければなりません。」

『長崎』は人生の居場所を探し求める物語だ。

エリック・ファーユ『長崎』
Eric Faye, Nagasaki(2010)

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by kou-mikami | 2014-03-12 23:04 | パリの作家・芸術家



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