フィリップ・ガレル『ジェラシー』
フィリップ・ガレルの新作『ジェラシー』を観てきた。
アンスティテュ・フランセ(日仏学院)での先行上映会で
会場には多くのガレルファンと思われる人たちが来ていた。

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【ストーリー】
物語はある家族を描いた非常に個人的なものだった。
離婚して新しい恋人クローディアとの新生活を始める男ルイが主人公。
貧しいながらも彼女を愛し役者の仕事を続けるルイは、典型的な芸術肌のパリジャンだ。
しかし徐々にクローディアは理由のない嫉妬によって精神を病んでいき、
裕福な建築家の元に去っていく。
恋人に去られて生きる希望をなくしたルイは自殺を図るが死ぬことはできなかった。
退院後、元妻との間にできた娘と会話することにより、
ルイは人生にかすかな希望を見出していく。

『ジェラシー』は離婚と再婚を繰り返す男女の空しい生活が細かく描かれていて、
現代フランスの恋愛としては、なかなかリアリティがある。
この映画のもう一人の主役は主人公の娘シャルロットで、大人びた感じがまた可愛い。
家を出ていった父と外で会って話したりするシーンはフランスの典型的な家族風景で、
そこにある種の希望が見えるが、物語はどこにも行きつかずに不意に終わる。
終わってみると物語というよりは断片的な人生の一部分を観たような感じだ。

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【主観的で個人的な愛に関する物語】
監督フィリップ・ガレルは自身を「ヌーヴェル・ヴァーグの弟子」と言っており、
その作風はやはりヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの意思を継承しているように思える。
その特徴としては「個人的で主観的」であることが挙げられるだろう。
大きな物語やクライマックスがあるわけではなく、世界は個人の家族に限定される。
そこには社会悪もヒーローも、解き明かすべき謎も、暴くべき陰謀も出てこない。
そして自分の愛する人をカメラの中に収めたいという個人的な欲求。
女優の顔のクローズアップを多用した主観的な視線。
これらはフランス映画の本質をついており、やはり『ジェラシー』は
ヌーヴェル・ヴァーグの流れを継承した作品と言えるだろう。

フィリップ・ガレルは今までにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌姫ニコや
女優ジーン・セバーグなど、彼が愛した女性たちをスクリーンの中に登場させている。
それは物語構成のために必要な役者としてではなく、
ただ彼女たちをスクリーンに映したいがためである。
そこには客観的な映画制作はなく、あくまで主観的なスタンスから映画を生み出している。
それはまたハリウッドと相反するフランス映画の特徴の一つとも言えるし、
今でもそのような映画はフランスでは評価の対象となっている。
そこがガレルの映画が美しく芸術的である理由だと思う。

フィリップ・ガレルは映画という第9の芸術についてこう言っている。
「芸術とは主観的なものであり、客観的な芸術などありえない」


【『ジェラシー』というタイトルについて】
『ジェラシー』はタイトル通り、嫉妬という感情をテーマにした映画だ。
しかし嫉妬の感情に苦しめられるのは主人公ではなく、
主人公に離婚を切り出された元妻であり、主人公の新恋人であるクローディアだ。
フランス語のLa Jalousieが女性名詞であるのは偶然だと思うが、
やはりある意味で『ジェラシー』は女性の視点から見た映画かもしれない。

また監督はジェラシーという感情についてこう言っている。
「『嫉妬』というのは『不和』よりひどい状態だ。
だが同時に、『嫉妬』とは誰もがかつて感じたことのある何かであり、
誰もが罪悪感を感じるもので、さらにはその正体を解明したいと思わせる側面もある」

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【存在感の希薄なルイ・ガレル】
女性たちの嫉妬が強く画面に出た映画『ジェラシー』だが
その一方で肝心の主人公であるルイの存在がとても希薄な気がした。
あまり感情が表にでない人物なのかもしれないが、
女性と恋をして演劇に熱中するも、主人公として何かが足りない。
彼の苦悩というのものがリアリティをもって感じることがあまりできなかった。
彼がピストルで自殺を図ろうとする場面も、どこか演劇的で現実味がない。
自分を傷つけて相手の気を引こうとするのはパリジャンの特徴なのだろうか。
またそこには男が行うある種のロマンチシズムが感じられ、
女性の現実的な面との差異がより浮き彫りになる気がした。

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【美しいモノクロ映像】
ガレルの映画が美しいのは、被写体への強い愛情だけでなく、
彼の撮影技術が伝統に則ったものだからかもしれない。
『ジェラシー』には物語の流れよりも、美しい映像を撮りたいという監督の偏った熱意が感じられる。
しかしそのような偏狭的な想いがあるからこそ、彼の映画は美しく芸術的でもある。
また技術に関しては今回の映画は35ミリのモノクロで撮影されている。
フィリップ・ガレルは映画発明当時の無声映画が大好きで、
現在の商業的なスペクタクルにはあまり関心がないという。

フィリップ・ガレルは映画の伝統を守る意義についてこう語っている。
「私はリュミエール兄弟の時代の映画の伝統にこだわっています。
逆説的に聞こえますが、芸術的な意味では初期の伝統に執着することによって、
かえって革命的になれると思うのです」

また彼は古いカメラで映画撮影を続けることをについてこうも言っている。
「古いカメラで撮る、35ミリフィルムを使うことや編集機材を使うこと、
こうした手法をあきらめてはいけないということです。
そうでないとこういった手法は、今に商業映画に、つまり産業としての映画に潰されてしまいます。ですから絶対にあきらめてはいけないのです」


【『ジェラシー』に見るフランスの家族】
この映画を観てわかるのは、
離婚後も子供と良好な関係を保つフランス人家族の強いつながりだ。
男と女は別れたとしても、2人の子供との関係にヒビをいれることはしない。
子供にとってはいつまでも父と母であり、親権がどちらに渡ったとしても
両親は子供に定期的に会って話しその愛を確認する。
日本ではなかなか見られない光景だがフランスではそれが自然な社会の形だ。
これはフランス人が人生を愛すべき舞台として保つための秘訣のような気もする。

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『ジェラシー』ではそんな典型的なフランスの親子関係が描かれていた。
この物語はガレルの父モーリス・ガレルをモデルにした物語になっているという。
またその主人公を実の息子ルイ・ガレルが演じており、
ルイの実の妹エステル・ガレルも妹役として映画に出演している。
脚本には現在の妻であるキャロリーヌ・ドリュアス=ガレルが参加しているというから
一家総出で映画に情熱をかけているという奇跡のような家族映画だ。
しかし、このような家族ぐるみで純粋な映画制作ができるのも、
日本と違うフランスならではの文化的土壌がなせるものだと思う。
ガレルにとって、映画は家族であり、家族は映画であるのかもしれない。

"La Jalousie" 『ジェラシー』 (2013/フランス)
監督:フィリップ・ガレル
撮影:ウィリー・クラン
出演:ルイ・ガレル、アナ・ムグラリス
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# by kou-mikami | 2014-09-18 10:03 | パリの映画
『アデル、ブルーは熱い色』
『アデル、ブルーは熱い色』をようやく観た。
映画史上初めて監督と主演女優2人にパルムドール賞(最高賞)が受賞されたことで
話題になっていた作品だが、
個人的には青い髪のレア・セドゥが出演することで一年ほど前から気になっていた。
青い髪という設定は原作のフランス漫画(バンドデシネ)から来ていて
そのビジュアルインパクトがなんだか日本の漫画のキャラクターに重なる気がした。

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まず上映時間が3時間と聞いてその長さに驚いた。
映画を観て、たしかに長かったが、それは悪い意味ではなく、
まるでアデルという女性の人生に何年間も入り込んだような濃密な3時間だった。

【ストーリー】
恋に不器用な高校生アデルは、道ですれ違った青い髪の女性エマに一瞬で恋に落ちる。
同性愛者が集まるバーで偶然エマと再会したアデルは、彼女との距離を徐々に縮め、
美学生エマの不思議で哲学的で奔放な世界観に魅了されていく。
そして、自分の中にある性に気づき、肉体を重ねることの歓びを知る。
数年後に幼稚園の教師になったアデルは、エマと同棲しながら彼女の絵のモデルをつとめて幸せな日々を送るが、二人の距離は徐々に離れていく。

【女性同士の激しい恋愛を描いた映画】
映画は2人の女性の恋愛を描いた単純なものだった。
ストーリーに関しては他の恋愛映画と大差はないだろう。
アデルとエマが出会って、恋に落ちて、別れていく。
運命の出会い、それが女性同士だっただけだ。
しかし他の映画と決定的に違うのは、その圧倒的な激しさと表情のリアリティだ。
お決まりの恋愛映画やコメディ映画のワンパターン的な演技は微塵もなく
そこにあるのは本物の人間が放つ生々しく観ていて痛くなるほどの欲望だ。
スクリーンを通してアデルとエマの「生きるための歓び」がこんなにも直に伝わってくるのは
数分間の長いセックス描写のためだろう。

【生々しくも美しいセックスシーン】
この映画の見どころの一つは2人が愛し合うシーンだ。
アデルとエマの女性同士のセックスシーンはリアルで激しく長く、
触れ合う二人の肌の色の違いが際立って生々しい。
しかしこれがポルノではなく映画として成立しているのは
2人がお互いを本気で求め合っているからだ。
まるで自分自身の欠けた破片を補い合うように重なり合って眠る2人の姿は美しい。
幼い顔立ちのアデルが相手に求める視線の強さは、動物的な本能を感じさせて、恋が自然なものであることを改めて教えてくれる。
対照的な2人を引き合わせる磁場というものがどこにあるのかは分からないが、
その2人が惹かれあい一緒になるところに、この映画の美しさがある。

【愛を知る歓びの先にあるもの】
しかしこの映画は愛を知った主人公の「生きる歓び」を感じると当時に、
後半で「失う悲しみ」が表現されているところにこそ魅力がある。
「愛を知る歓び」は「愛を失う悲しみ」によってこそ、より強調される。
それは誰もが経験する普遍的な出来事であり、それこそが人生そのものだ。
唐突に訪れるラストシーンに、人生をやり直そうとする主人公の強い意志を感じられた。

【主演のエマについて】
エマを演じたレア・セドゥの演技力のすごさには今回改めて驚かされた。
特にアデルをアパルトマンから追い出すときの剣幕はかなり恐ろしい。本気すぎる。
『美しい人』のときの黒髪の主人公の役が個人的には一番好きだが、今回のブルーヘアーのレア・セドゥもインパクトが大きい。彼女はアデルが一目ぼれする運命の女エマを見事に演じている。
2013年2月号のフィガロジャポンのインタビューで彼女はこう語っている。
「私が思うに、ファム・ファタルというのは強靭さを持っている女性のこと。
突き詰めれば、男性に全く依存していない、すべてのことからフリーな存在という気がする」

【主演のアデルについて】
アデル役のアデル・エグザルコプロスは初めて観たが、すごい女優だった。
パリ出身で、9歳の時から演技の勉強を始めている。
ジェーン・バーキンが監督した映画『Boxes』や『黄色い星の子供たち』に出演し、
『Les Enfants de Timpelbach』では主演を務め、フランスで有名となる。
そして今回の映画『アデル、ブルーは熱い色』に出演し、パルムドールを受賞した。
人間の歓びと悲しみを豊かな表情で生き生きと表現していて、視線の強さが印象的。
恋を知らない高校生の幼さから、全てを失い再出発する女性の強さまでを完璧に演じていた。ビーバーのような動物的可愛らしさも魅力だ。
また一番印象的だったのは、自宅でアデルが口を汚しながら思いきりボロネーゼパスタを食べているシーンだったかもしれない。セックスも食欲も同じ人間の本能。それを貪欲に描ききった監督の強い意志を感じた。

『アデル、ブルーは熱い色』は簡単に言えば女性同士の激しい恋の物語。
しかしそれはレズビアンという枠を出て、肉体を欲する人間の生そのものだ。
偶然出会い、相手に触れて、また別れていく。
そのあまりの激しさはやはりフランス映画だ。
忘れていた熱い想いを思い出させてくれる強烈な作品だった。

『アデル、ブルーは熱い色』(2013)
監督・脚本:アブデラティフ・ケシシュ
原作:ジュリー・マロ『ブルーは熱い色』
出演:アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥ
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# by kou-mikami | 2014-05-10 12:54 | パリの映画
悲劇的な友情 アンヌ=ソフィ・ブラスム『深く息を吸って』
人は過ちを犯した時、それを告白することで楽になりたいと思う。

アンヌ=ソフィ・ブラスムの『深く息を吸って』を読んだ。
裏表紙に書かれた「第2のサガン」というキャッチコピーに惹かれて
手に取った小説だが、これはまさに孤独なパリジェンヌの
告白の書というべきものだった。

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作者のアンヌ=ソフィ・ブラスムは1984年生まれ。
フランス東部の町メッツに住み、17歳の時にこの小説でデビュー。
フランスで出版されベストセラーになったそうだ。

10代特有の純粋さと透明感を見事に描いていて、
それゆえの孤独で狂気的な世界が、自分の過去の痛みと伴って
強い共感を持つ作品だった。


【ストーリー】
19歳の少女シャルレーヌは殺人の罪で刑務所に入っている。
彼女は苦しみを吐きだすように、人を殺すに至った経緯を読者に語っていく。
まだ記憶の不確かな幼年時代から、小学生、コレージュ、リセでの
孤独な生活、初めての恋、そして殺人を犯した日の夜の闇まで。

「わたしの幼年時代はほかの子とは違っていた。浮かれ騒ぐこの世の中で、
わたしは自分だけの独自の世界しか感じ取れずにいたのだ。
おそらくこんなふうに孤独を必要としていたことや、他人に理解されずにいたことが、あるときはじめてわたしを"書く"ということにつき動かしたのだろう。」

前半はどこにでもいる内気な少女の回想録といった感じで、さほど意外性はなかった。
しかし主人公がコレージュ(中学校)でサラという女性に出会ったことで、
物語は徐々に狂気的な闇に支配されていく。
生涯の親友だと思っていたサラとのあまりに美しい思い出が綴られるが、
サラは友人のふりをしてシャルレーヌを利用していただけだった。
しかしシャルレーヌはサラの友情を盲目に信じて彼女を慕い続ける。
そして彼女の中でそれは次第に憎しみと狂気に変わっていく。

「普通の人のようにふるまおうと努力しても、自分自身の狂気からは逃げられない。
だって、狂気は何よりも強いのだから。
だから遅かれ早かれふたたび顔を出してくる。お手上げだった。
狂気を鎮めるには、真正面から向きあい、
その命令をひとつひとつ実行していくしかなかった。
結果がどうであろうと、それは問題ではなくて、
実行に移すことで、ようやく狂気から解放されるのだった」

彼女にとって殺人は実行しなければならない問題だった。
彼女の中に狂気が少しずつ生まれていく過程が緻密に描かれ、
彼女の恐ろしい計画を誰も止めることはできない。
それでも彼女の行動を何度も食い止めたいと思うほど
彼女の心の悲しみが自分のことのように伝わってくる。
10代ゆえの残酷な友人関係が起こした悲劇だが、
これは誰の心の中にもある普遍的なものなのかもしれない。


【書くことの意義】

主人公シャルレーヌの孤独で繊細な感覚がよく伝わるエピソードがある。
彼女は8歳の時に親からノートを買ってもらう。
そして彼女は今までの孤独を癒すかのように、自分の世界を
そのノートに書き込んでいく。

「書くということは喜び以上のものであり、単に必要だという以上の意味があった。そして現在もなお、わたしの真実であり、明白な現実に対する、私にとっての唯一の防衛手段なのだ。」

これはおそらく、作者アンヌ=ソフィ・ブラスムが小説家になることを決めた
理由でもあるのかもしれない。
彼女はインタビューでも主人公の一部は自分に似ていると語っている。

「Respireは自伝ではないけれど、サラとの悲劇的な友情を語るシャルレーヌと私は
どこか似たところがある」


【狂気に勝つことはできない】

『深く息を吸って』はパリに住む孤独な少女の物語。
彼女が歩む孤独の世界はつらすぎるものだけど、
初めて人を愛することの素晴らしさを知った彼女の喜びにはこちらも胸が熱くなる。

しかし彼女は自分の中にある狂気に打ち勝つことはできず、
幸せを全て捨てて恐ろしいラストへと突き進んでしまう。
しかし彼女にとってはそれがやらなければならない「正しい道」だった。
世間的に悪を働いても、彼女の世界の論理で言えば「私は勝った」となる。
それが自分の人生にとって幸せではない道だとしても。

彼女は独房を出た後、どんな人生を歩むのだろうか。
これはあまりに純粋な世界を描いた悲劇的な友情の物語だ。


アンヌ=ソフィ・ブラスム『深く息を吸って』
"Respire"(2001)
Anne-Sophie Brasme
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# by kou-mikami | 2014-04-12 07:58 | パリの小説
ギヨーム・ブラック『女っ気なし』
映画『遭難者』と『女っ気なし』を観てきた。

フランスの映画監督ギヨーム・ブラック(Guillaume Brac)の劇場初公開作品。
「新しいヌーヴェル・ヴァーグ」を予感させるバカンス映画で、
久しぶりにすごい監督が出てきたと嬉しくなった。

ジャック・ロジエ監督の『オルエットの方へ』を観たときの衝撃を思い出す。
しかしこちらの映画は華やかなOLたちではなく、地味な青年が主人公。
バカンス映画だけど、映画全体に漂ううらぶれてさえない感じが、とてもいい。
孤独でせつないエリック・ロメール映画といった風情を感じさせる。

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【ストーリー】

さびれたリゾート街オルトでホテルの管理人をしているシルヴァンは
バカンスでパリから遊びに来た母娘をホテルに迎える。
天真爛漫でグラマラスな母親と読書好きの美しい娘。
恋人のいないシルヴァンは、なんとか母親の気を惹こうとするが
あと一歩のところでうまくいかない。
日々は過ぎ、そしてバカンスにも終わりがやってくる。

『女っ気なし』はダメ男好きにはたまらない映画だろう。
アメリカ映画ではポール・ジアマッティ主演の『サイドウェイ』を思い出すが、
このフランス映画はさらにリアリティを持って観客の前に提示される。
そして、それは自分自身の心の中にあるダメさの反映となって共鳴する。
またこの映画には美しい映像が全く出てこない。それなのに切なく美しい。
これはまさにヌーヴェル・ヴァーグを継承する監督の才能だろう。

【俳優ヴァンサン・マケーニュ】

今回の収穫は映画だけでなく、その主演俳優だった。
両方の映画に出演していたヴァンサン・マケーニュ(Vincent Macaigne)の
シャイなダメ男ぶりが文句無しに素晴らしい。
一目見て好きになった俳優だ。
もともとは舞台演出や監督の仕事がメインのようだが、
今回友人であるギヨーム・ブラックに頼まれて出演したということだった。

フランス人らしからぬシャイでさえないダメ男を演じたヴァンサン・マケーニュは愛らしく憎めない。
本当に素晴らしい俳優はスクリーンの中で主張せず、
どこにでもいそうな人間としてまるで空気のように溶け込んでいる。
そしてその場にカメラがあることを全く忘れさせてくれる。
ヴァンサン・マケーニュはまさにそんな俳優だ。
彼のような俳優は、ロメール映画にあるようなバカンスで起こる何気ない展開にとても合っている。
そして青年特有の暗い世界を予感させるのも、この映画の魅力の一つとなっている。

【『女っ気なし』のプロローグとなった『遭難者』】

もう一つの映画『遭難者』は『女っ気なし』のプロローグとなる短編だった。
とくに物語が続いているわけではないが、
舞台が同じうらぶれたリゾートの町で、出てくる青年シルヴァンも一緒だ。
パリからこの町に自転車でやってきたサイクリストに一晩の宿を
貸すシルヴァンだが、彼の恋を助けようと余計なおせっかいをしたばっかりに
男の怒りを買ってしまう。
軽やかでユーモアがあって、そして悲しい余韻を残すこの作品は
次に続くバカンス映画の裏話といった役割にもなっている。

【ヌーヴェルヴァーグの精神を引き継ぐ新たなバカンス映画】

『女っ気なし』は『夏物語』と『オルエットの方へ』に次ぐ素晴らしいバカンス映画。
ラストに訪れるバカンスの終わりの開放された雰囲気もいい。
リアリティあふれる色彩とカメラワークはジャック・ロジエ監督の映画に通じるけど、
なにもかもさえない感じがこの映画の特徴でもある。
天気の悪いうらぶれたリゾート街を舞台に、
独り身の青年のなかなか実らない恋をユーモアを交えて描く。
ギヨーム・ブラックの『女っ気なし』はまさに、
あのヌーヴェル・ヴァーグの精神が今も続いていることを教えてくれた。
今年最も印象に残る映画になる気がした。


『女っ気なし』 Un monde sans femmes (2011)
監督:ギヨーム・ブラック
出演:ヴァンサン・マケーニュ、ロール・カラミー、コンスタンス・ルソー

『遭難者』Le Naufrage (2009)
監督:ギヨーム・ブラック
出演:ジュリアン・リュカ、ヴァンサン・マケーニュ、アデライード・ルルー
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# by kou-mikami | 2014-04-04 12:11 | パリの映画
エリック・ファーユ『長崎』
フランスの作家エリック・ファーユの『長崎』を読みました。
2010年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞した小説の邦訳です。

数年前に日仏学院で彼の講演を聴いて以来ずっと気になっていたのですが、
その邦訳が2013年の秋に出版。ようやく読むことができました。
長崎に住む独り暮らしの男に起きた不思議な事件に関する物語。
平凡な日本人を主人公にした今までにないフランス小説です。
久しぶりに新しい世界を堪能しました。

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【ストーリー】

長崎市にある気象台で働く独身の中年男性シムラは
市のはずれにある一軒家で真面目で規則正しい生活をしている。
毎日同じ電車に乗って職場に行き、観測所のデータを解析する。
仕事が終われば同僚と飲むこともせずに帰宅する日々。
しかしある日、冷蔵庫のジュースが微妙に減っていることに気づき、
不審に思った彼は部屋に監視カメラを取り付ける。
そこに写っていたのは一人の見知らぬ女性だった。


【日常の中にふと開く穴をリアルに描く】

もし昼間は誰もいないはずの自分の家に、誰がいたら。
部屋にとりつけたカメラに、誰かが部屋の中を動くのが映っていたら。
あなたはどう感じるでしょうか。
恐怖、不審、不安。おそらく最初はそのような感情を持つでしょう。
しかし、しばらくするともしかしたら、そこに
もう一つの人生を見るかもしれません。

実際に合った新聞の三面記事に着想を得たこの物語は、
元ジャーナリストであった著者エリック・ファーユならではの
簡易でリアリティのある描写で読者を不思議な日常世界へと引き込みます。
そして小説全体がフランス文学ならではの深い暗喩に満ちています。
日常に空いた穴から人生の本質を探る静かな物語。


【フランス人から見たミニマルな日本社会を描写】

また小説の脇を固める設定も面白い。舞台はなぜか日本の長崎。
気象台で働く中年の独身男性が主人公というのがいいですね。
文章も読みやすく、フランス人から見た日本の生活も面白い。
日本のコミカルな部分やミニマルな日常風景が描かれる。
カウンターしかないトリスバーや炊飯器や弁当などの小道具を出すあたりに
著者の日本への愛着が感じられます(著者は日本映画をかなり観ているようです)
日本好きなフランス語圏の作家では他にアメリー・ノトンがいます。

フランスでアカデミー・フランセーズ賞をとった『長崎』。
フランス人から見るとエキゾチックな舞台設定なのでしょうか。
しかし単に異国情緒だけではない、ミニマルで深い世界が描かれています。


【平凡な男の人生をミステリー仕立てで人間の本質に迫る】

小説『長崎』はミステリー仕立てでありながら、
決して解決のできない人生の空虚さが描かれています。

主人公シムラは一軒家に独りで住みながら、変化のない生活を好んでいます。
しかしそこに女が現れることによって、彼は生活を脅かされれます。
しかしそのせいで自分の生活を省みるようになります。

彼女が自分の家に侵入したことに憤りと不審を抱きながらも
彼は彼女の痕跡が部屋のどこかに細胞レベルで残っているのだと思い、
そこに何かを感じ取ろうとするのです。

「女は炊飯器の上に指紋だけでなく、きっと死んだ細胞をも
残していったに違いない。(中略)その物理的特性はわたしたちにはまだよくわかっていないが、クォークや陽子はあらゆるものの鍵を持っているのだ。」

そして、平凡で孤独だった自分の人生に起きたこの事件について
深く考えるようになります。

「わたしの家で起こったことを、ある日、どうしても理解しようと望むなら、
おそらく今日からでも化石のような細胞を拾い集め、それらを研究しなければならないだろう。」

人間はいつでも一人きりの世界で生きているように思ってしまう。
それが人が孤独を感じる理由だろう。
しかし、あるときそうではないことにふと気付く瞬間がくる。
今自分のいる場所には多くの人の痕跡が残っているはずであり、
それは誰に伝わることなく漂い続けているのかもしれない。
そしてその痕跡を見つけることで、
自分自身も知らないうちにその場所に痕跡を残し、
変化していっているという事実を知る。

「その年はわたしを変化させつつあるということ、
そしてすでにしてわたしがもはや完全に同じ人間ではなかったということを
わたしは理解していた。
いかなる点での変化であったのか、それを定義することができなかっただろう。
しかし、その変化からまったくの無傷のままで出てくることはできないだろう。」


【もう一人の主人公】

この小説のもう一人の主人公は、彼の家に侵入した女です。

家を失った失業者の女がさまよう人生は、
平和でも意味のある人生でもなく、本当のあからさまな意味のない人生として
読者の前に提示されます。
それはいつかは過去となって消えていく人間の生活であり、
人生に意味などないという悲しみです。

「わたしに確信の持てたことがひとつあるとすれば、それはこれです。意味は存在しない、つまり、意味は前もって存在していなかったということです。意味の観念は、自分の不安に軟膏を塗ろうとして人間がでっちあげたものです。」

しかし主人公の男の家に侵入したことによって
彼女はかつての自分を思いだし、一時的に人生を取り戻します。
それは子供時代の自分の痕跡であり、
再び生まれた場所に戻ってきた鮭のような生物的な円環でした。


【タイトルの「長崎」の意味】

小説のタイトルは『長崎』。もちろん日本の長崎を舞台にしているからですが、
そこにはそれ以上の意味が込められているように思えます。

小説の中で長崎は「外部からの侵入者を受け入れる場所」という意味で
使われています。

自分の家を日本列島にたとえ、家の一番奥にある部屋の押し入れを長崎の出島に
たとえる比喩はなかなか面白いです。
オランダ人という外部の異人が知らないうちにやってきたように、
彼の家に闖入した女も、知らないうちに彼の人生に現れた。
それは恐れや不安であり、新しい世界の始まりでもあったはずです。

「そして江戸幕府は、その二世紀半もの間、ヨーロッパというひとりの密航者が
その衣裳部屋に棲みついたことを、いわば知らないふりをしていた・・・。」


【人間それぞれの帰る場所】

私はこの小説を読んで、自分にはどこかに帰る場所があるのだろうかと思った。
たとえば昔住んでいた家がもう誰かのものになっていたり、壊されてなくなっていたら
もう戻ることはできない。
それでも、いつかそこへ行きたいと思った。

「わたしは、だれでも自分の過去の記念の地に好きな時に戻ってくることができるという不可侵の権利があることを、世界中のすべての憲法に書き込むべきだと思います。
そしてひとりひとりに、その子ども時代が演じられたすべてのアパートや家や庭に近づくことを可能とする鍵束を預け、そうした思い出の冬の宮殿に何時間も留まることを許可しなければなりません。」

『長崎』は人生の居場所を探し求める物語だ。

エリック・ファーユ『長崎』
Eric Faye, Nagasaki(2010)

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# by kou-mikami | 2014-03-12 23:04 | パリの作家・芸術家



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