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クリス・マルケル『ラ・ジュテ』
アテネフランセ文化センターでクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』を観た。
1962年製作のフランスのSF映画で、作成手法が一風変わっている。
映画なのに映像ではなくモノクロ写真の連続によって作られた不思議な作品で
「フォトロマン」と呼ばれる手法だという。

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タイトルの『ラ・ジュテ』(La Jetee)は「空港の搭乗用通路」や「防波堤」を意味するフランス語で、空港が映画の中で重要な意味を持つ。
わずか28分の映画なのに、過去の記憶というものをこれほど深い眼差しで描いた映画は他にないだろう。私にとって忘れられないフランス映画の一つとなった。

物語の舞台は第3次世界大戦で荒廃した未来のパリ。
そのためパリの街並みは全く映されず、場面のほとんどが暗い地下だ。
地下に住み着いた支配者は汚染されていないエネルギーを別の時代に求め、
捕虜たちを実験台にして過去への時間移動を試みる。

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しかし過去への旅行は精神的なダメージが大きく、
被験者となった捕虜たちのほとんどは途中で意識を失ってしまう。
時間移動には「強い意識」をもった人間が必要で、
最終的に一人の男(主人公)が実験台として選ばれる。
主人公は過去にオルリー空港の送迎台で出会った女性に
もう一度会いたいという「過去への強い想い」があった。
そして数回にわたる過酷な実験を繰り返し、
ついに過去へと戻り、その女性と再会する。

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映像の中には具体的な未来の風景はほとんど出てこない。
その状況がナレーションによって語られるだけだ。セリフもない。
それなのに、言葉によって凝縮された世界観は観るものを強く刺激する。
ある意味、絵画的な物語構造をもった映画と言えるかもしれない。
また未来を描くSF映画であるのに、物語の中心は過去の世界というところも
面白い。(最終的には舞台である未来のさらに未来へと移動もするのだが)

印象的だったのは、過去に戻った主人公が女性と剥製博物館を見学するシーン。
この場面を観ていてブレッソンの『やさしい女』の一場面を思い出した。
永遠に固定された動物たちの存在は、二度と戻らない過去、もしくは時間の一瞬の美しさを暗示しているのだろうか。
もしかしたらフランス人は剥製が好きなのかもしれない。

またこの映画は過去だけでなく、さらに先の未来世界へも移動する。
そのときにパリの未来的映像が俯瞰図で表現されていたが
その細胞を拡大したようなパリ風景が個人的に気に入った。

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一部を除いて全編写真(静止画)によるショットが続くが、
それが全く退屈しなかったのは映像とは異なる写真の魅力のせいだろう。
特に主人公が出会った女性の固定された顔の表情は写真ならではの表現だ。
映像よりも一瞬を切り取った写真本来の力を見た気がした。
また『ラ・ジュテ』が写真の連なりによって構成されているのは、
失われた過去を描いた映画だからなのかもしれない。
表現手法そのものが、この映画の本質を伝えている。

この実験的な映画は若手フランス映画監督に贈られるジャン・ヴィゴ賞を受賞し話題となった。
監督のクリス・マルケルはヌーヴェルヴァーグを代表する映画監督であると同時に
写真家でありジャーナリストでもあった。
ちなみに主演のエレーヌ・シャトランとダヴォ・アニシュは
生涯でこの映画にしか出演していない。
その後『ラ・ジュテ』は多くの映画監督に大きな影響を与えた。
ジャン=リュック・ゴダールの哲学的要素の強いSF映画『アルファヴィル』や
『ラ・ジュテ』を原案としたテリー・ギリアムの『12モンキーズ』は
その顕著な例だろう。
ハリウッドでいえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』にも影響を与えている。

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この映画が教えてくれるのは「時というものの不可逆性」だ。
過去へ戻ることはできない。時の流れは常に一方通行だからだ。
過ぎ去ってしまった「時」について、誰もその在り処を知ることはできない。
だからこそ過去の記憶の在り処を探る主人公の時間移動が
今まで見たこともない美しい旅へと観客を誘う。
たとえラストに悲劇があろうとも、主人公が垣間見た断片的な女性の顔こそ、
彼が帰るべき場所だったのだろう。

絶対に取り戻せない過去というものを刹那的であれ取り戻すことによって
この映画はSFの傑作となった。

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『ラ・ジュテ』"La Jetee"
1962年 / フランス
監督・脚本:クリス・マルケル
出演:エレーヌ・シャトラン、ダヴォ・アニシュ
# by kou-mikami | 2015-08-14 11:02 | フランス映画
『南へ行けば』
レア・セドゥの挑発的な眼差しが特徴的なジャケットに惹かれ
前から観たいと思っていた『南へ行けば』をようやく鑑賞した。
しかし、驚いたことにこの映画はレア・セドゥが主演ではなかった。

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主人公は南へと車を走らせる無口な男サム。
そこにレアとマチューの兄妹が乗っている。
2人はヒッチハイクでサムの車に同乗させてもらったらしいが
どこまで行くのか目的は全くわからない。
ただレアは妊娠中のようで、このまま産むべきか悩んでいる。
レアの弟マチューはゲイで、運転手サムのことが好きになっている。
サムもゲイなのだが、マチューのことを全く相手にしない。
そこにレアが途中のガソリンスタンドで声をかけた青年ジェレミーも加わり、
男3人と女1人のロードムービーが進んでいく。

『南へ行けば』_e0141635_20533050.jpg


アメリカンニューシネマを思わせる淡々とした描写が続くが
次第にサムの過去が回想され、この旅の目的が明らかになってくる。
サムは幼いころ父親の拳銃自殺を目の前で目撃し、
自殺の原因となった精神病を患った母親を今でも憎んでいた。
その母親から数十年ぶりに手紙を受け取り、
離れて住んでいる母親に会うために出かける途中だった。

この映画は、人生の「時」が少年時代で止まってしまった青年の
心の動きをロードムービーを通して非常に繊細に描いている。
大好きだった父親が目の前で拳銃自殺し、その時を境に
サムは外界に対して心を閉ざし、母親を憎むようになった。

車が移動し新たな風景が現れても、サムの表情に変化はない。
途中で弟の家に寄るが、弟は結婚をして新たな人生を歩んでいた。
自分だけが人生に取り残された思いを持ちながら、旅を続ける。
ロードムービーは、停車中の人生なのだと思う。
景色は移動しても、旅人の人生は動いていないのだ。
走れば走るほど、心の空疎は曇った空のように広がっていくばかり。

『南へ行けば』_e0141635_2054689.jpg


そんなサムの旅を、レアたち兄妹が自由奔放に刺激し、
感情を閉じていたサムの心にも変化が現れる。
いつしか車は南フランスを抜けてスペインへと入る。
立ち寄った浜辺ではキャンプファイアや海水浴を楽しみ、
4人にもようやく束の間のバカンスが訪れる。

レアは夜の草むらでジェレミーと体を重ねるが、愛を得ることはできない。
サムがマチューの愛を受け入れる夜の浜辺の情景は刺激的でもあり
いかにもフランス映画的な官能と自由がある。
サムの表情にも初めて和らぎが生まれるシーンが印象的だ。
この映画ではゲイの恋愛がリアルに実直に描かれている。
それもフランス映画の一つの特徴である。

しかしサムは結局レアたちに別れを告げぬまま浜辺をあとにし、
その後一人で旅を続けてようやく母親と対峙する。
手には父親が自殺したときに使った拳銃を持って。
しかしそれを使うことはなく、仕事へ行く母親と別れ、
サムは一人でどこかの川へと入っていく。
川の水を浴び、何度も何度も潜るサム。
それは彼がかつて体験した母親の羊水の味だったのだろうか。
母親を憎みしながらも愛情を捨てきれないサムの
複雑な心境を見事に表したラストシーンだった。

『南へ行けば』"Plein Sud"
2009年 / フランス
監督:セバスチャン・リフシッツ
出演:ヤニック・レニエ、レア・セドゥ
# by kou-mikami | 2015-08-13 20:46 | パリの映画
『美女と野獣』
映画『美女と野獣』を観てきた。
ディズニーアニメでも有名なフランスの童話『美女と野獣』の実写作品。
監督はフランス出身のクリストフ・ガンズ監督。
主演も今人気のフランス人女優レア・セドゥ。

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フランスでは1946年にジャン・コクトーによって映画化されているが
実に68年ぶりの本家フランスによる実写化ということで、期待も高い。
映像に関しては最高の出来といってよく、
現実と幻想が見事に調和した世界観が美しい。
物語は野獣の過去にも焦点を当て、過去の映画にはない独自の物語を描いたものの
肝心の美女と野獣の恋愛においては少し物足りなさを感じた。

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もともとはフランス生まれの民話
ディズニーアニメで世界的に有名な『美女と野獣』だが、
もともとは1740年フランスで出版された童話(民話)がオリジナル。
作者はヴィルヌーヴ夫人で、その後ボーモン夫人による短縮版が出版された。
裕福な商人の家に生まれた末娘ベルは、美しく誠実な女性。
ある日バラを盗んだ父の身代わりとして野獣のいる城に行き、
野獣との奇妙な生活を続けるうちに、野獣に愛情を抱く。
人間が異なる世界の種族と結婚するという異種婚姻譚であるが、
最終的に野獣は元の王子の姿に戻り、ベルとの幸せな結末を迎える。
いわば典型的なおとぎばなしの骨格を持った物語と言える。

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原作との違いは「野獣の過去」
今回の映画は、ヴィルヌーヴ夫人による原作を元にして
忠実に作られているそうだが、原作とは異なる部分がある。
それは「王子が野獣に変身させられた理由」を描いたところ。
どうして王子は野獣に姿を変えられたのかはかなり大事なところだが
何故か原作にもディズニーアニメにも描かれていない。
子供向けのおとぎ話なので、細かい部分は不必要だったのかもしれない。
しかし映画『美女と野獣』では、そんな王子の過去に焦点を当てている。
野獣の悲しい過去をベルが知ることにより、その野獣への愛情が芽生えるので
過去の描写はとても重要な要素であり、この映画が他の作品に比べて評価できる点。

ちなみに監督はジャン・コクトーの『美女と野獣』を敬愛しており
しかしながら今回はそのリメイクではなくオリジナルの物語にこだわった。
だが、愛情が芽生えたベルと野獣の恋愛が細かく描かれないまま
クライマックスへと流れてしまっている早急な印象を受けた。
その辺りをもう少し丁寧に描ければベルが野獣を愛した明確な理由を
視聴者に説得力を持って伝えることができたような気もする。

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野獣と出会うきっかけとなったベルの父
この映画のもう一つの特徴としては、ベルと家族の関係を丁寧に描いている点。
前半は主人公ベルとその家族の物語が続き、野獣との出会いまでのいきさつを
じっくりと描いている。
おとぎばなしとはいえ、主人公が幻想世界に入るきっかけにリアリティをもたせるのは
大事だと実感した。その辺りの構成はとてもフランス的な感じがする。
家族の中で重要な役割を果たすのは裕福な商人であるベルの父だ。
映画の前半はベルではなく父の視点で物語が進行していく。
いかにも裕福な商人という感じで、娘への深い愛情を感じさせる役柄。
彼が森で遭難し初めて野獣の城を訪れる場面は見事。
幻想的でありコミカルで、魔法のように現れたごちそうを頬張る姿が
人間世界と幻想世界を見事につないでいて素晴らしい。

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ベルの現代性
『美女と野獣』が18世紀の原作を元にしながら現代的なのは、
ベルが自分の意思で運命を切り開く強い女性として描かれているからかもしれない。
前半は父の身代わりとして野獣の城へ向かい、後半は野獣に会うために再び城へ向かう。
野獣を見て驚きはするも、好奇心が強く、野獣の城や庭を散歩する。
新しい世界への興味を持ってその場を切り抜けていく大胆さがうかがえる。

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シンデレラとの共通点
映画『美女と野獣』に出てくる3人姉妹は『シンデレラ』を思い出す。
わがままで強欲な2人の姉と純粋で無欲な末娘。さらに浪費家で遊び人の兄が加わる。
愚かな姉と兄の存在は、主人公ベルの誠実さや美しさを引き立たせ、
現実世界の不公平や理不尽を暗示しているように思える。

もう一人の主役、森の精
この映画の主人公はベルと野獣だが、
もうひとつ重要になってくるのは「森の精の存在」だ。
森の精は人間の驕りに対する自然の脅威として描かれ
野獣の過去や物語のクライマックスで重要な役割を果たしている。
森が開いて道ができたり、蔦が絡まり欲深い人間を殺したり。
巨大な石像が動き出す場面は、他の映画でも見たような気もするが、
自然界の神的な存在として描かれる森の精の迫力は
宮崎駿監督の作品にも通じるものがあるだろう。
少し違和感があったのは、森の精によって呪われた王子の飼い犬たち。
空想の生き物を描くことが好きなクリストフ・ガンズ監督ならではだが
妙にディズニー的なテイストの生き物で、今回の映画の世界観には
合わない気がした。

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個人的な希望を1つ言えるなら
呪われた城で一人でいたときの野獣の孤独を
描いてほしかった。そのような圧倒的な孤独より
野獣の悲劇性が高まり、視聴者の共感もさらに得られるのではないか。

300年前から語り継がれているおとぎばなしへの魅力は尽きないが
それを映像化することでより一層その物語への理解や疑問が出てくる。
今後も『美女と野獣』は様々な形で語られていくのだろう。

La Belle et la Bete(2014)
監督:クリストフ・ガンズ
主演:レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル
# by kou-mikami | 2014-11-14 09:24 | パリの映画
フィリップ・ガレル『ジェラシー』
フィリップ・ガレルの新作『ジェラシー』を観てきた。
アンスティテュ・フランセ(日仏学院)での先行上映会で
会場には多くのガレルファンと思われる人たちが来ていた。

フィリップ・ガレル『ジェラシー』_e0141635_13451962.jpg



【ストーリー】
物語はある家族を描いた非常に個人的なものだった。
離婚して新しい恋人クローディアとの新生活を始める男ルイが主人公。
貧しいながらも彼女を愛し役者の仕事を続けるルイは、典型的な芸術肌のパリジャンだ。
しかし徐々にクローディアは理由のない嫉妬によって精神を病んでいき、
裕福な建築家の元に去っていく。
恋人に去られて生きる希望をなくしたルイは自殺を図るが死ぬことはできなかった。
退院後、元妻との間にできた娘と会話することにより、
ルイは人生にかすかな希望を見出していく。

『ジェラシー』は離婚と再婚を繰り返す男女の空しい生活が細かく描かれていて、
現代フランスの恋愛としては、なかなかリアリティがある。
この映画のもう一人の主役は主人公の娘シャルロットで、大人びた感じがまた可愛い。
家を出ていった父と外で会って話したりするシーンはフランスの典型的な家族風景で、
そこにある種の希望が見えるが、物語はどこにも行きつかずに不意に終わる。
終わってみると物語というよりは断片的な人生の一部分を観たような感じだ。

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【主観的で個人的な愛に関する物語】
監督フィリップ・ガレルは自身を「ヌーヴェル・ヴァーグの弟子」と言っており、
その作風はやはりヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの意思を継承しているように思える。
その特徴としては「個人的で主観的」であることが挙げられるだろう。
大きな物語やクライマックスがあるわけではなく、世界は個人の家族に限定される。
そこには社会悪もヒーローも、解き明かすべき謎も、暴くべき陰謀も出てこない。
そして自分の愛する人をカメラの中に収めたいという個人的な欲求。
女優の顔のクローズアップを多用した主観的な視線。
これらはフランス映画の本質をついており、やはり『ジェラシー』は
ヌーヴェル・ヴァーグの流れを継承した作品と言えるだろう。

フィリップ・ガレルは今までにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌姫ニコや
女優ジーン・セバーグなど、彼が愛した女性たちをスクリーンの中に登場させている。
それは物語構成のために必要な役者としてではなく、
ただ彼女たちをスクリーンに映したいがためである。
そこには客観的な映画制作はなく、あくまで主観的なスタンスから映画を生み出している。
それはまたハリウッドと相反するフランス映画の特徴の一つとも言えるし、
今でもそのような映画はフランスでは評価の対象となっている。
そこがガレルの映画が美しく芸術的である理由だと思う。

フィリップ・ガレルは映画という第9の芸術についてこう言っている。
「芸術とは主観的なものであり、客観的な芸術などありえない」


【『ジェラシー』というタイトルについて】
『ジェラシー』はタイトル通り、嫉妬という感情をテーマにした映画だ。
しかし嫉妬の感情に苦しめられるのは主人公ではなく、
主人公に離婚を切り出された元妻であり、主人公の新恋人であるクローディアだ。
フランス語のLa Jalousieが女性名詞であるのは偶然だと思うが、
やはりある意味で『ジェラシー』は女性の視点から見た映画かもしれない。

また監督はジェラシーという感情についてこう言っている。
「『嫉妬』というのは『不和』よりひどい状態だ。
だが同時に、『嫉妬』とは誰もがかつて感じたことのある何かであり、
誰もが罪悪感を感じるもので、さらにはその正体を解明したいと思わせる側面もある」

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【存在感の希薄なルイ・ガレル】
女性たちの嫉妬が強く画面に出た映画『ジェラシー』だが
その一方で肝心の主人公であるルイの存在がとても希薄な気がした。
あまり感情が表にでない人物なのかもしれないが、
女性と恋をして演劇に熱中するも、主人公として何かが足りない。
彼の苦悩というのものがリアリティをもって感じることがあまりできなかった。
彼がピストルで自殺を図ろうとする場面も、どこか演劇的で現実味がない。
自分を傷つけて相手の気を引こうとするのはパリジャンの特徴なのだろうか。
またそこには男が行うある種のロマンチシズムが感じられ、
女性の現実的な面との差異がより浮き彫りになる気がした。

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【美しいモノクロ映像】
ガレルの映画が美しいのは、被写体への強い愛情だけでなく、
彼の撮影技術が伝統に則ったものだからかもしれない。
『ジェラシー』には物語の流れよりも、美しい映像を撮りたいという監督の偏った熱意が感じられる。
しかしそのような偏狭的な想いがあるからこそ、彼の映画は美しく芸術的でもある。
また技術に関しては今回の映画は35ミリのモノクロで撮影されている。
フィリップ・ガレルは映画発明当時の無声映画が大好きで、
現在の商業的なスペクタクルにはあまり関心がないという。

フィリップ・ガレルは映画の伝統を守る意義についてこう語っている。
「私はリュミエール兄弟の時代の映画の伝統にこだわっています。
逆説的に聞こえますが、芸術的な意味では初期の伝統に執着することによって、
かえって革命的になれると思うのです」

また彼は古いカメラで映画撮影を続けることをについてこうも言っている。
「古いカメラで撮る、35ミリフィルムを使うことや編集機材を使うこと、
こうした手法をあきらめてはいけないということです。
そうでないとこういった手法は、今に商業映画に、つまり産業としての映画に潰されてしまいます。ですから絶対にあきらめてはいけないのです」


【『ジェラシー』に見るフランスの家族】
この映画を観てわかるのは、
離婚後も子供と良好な関係を保つフランス人家族の強いつながりだ。
男と女は別れたとしても、2人の子供との関係にヒビをいれることはしない。
子供にとってはいつまでも父と母であり、親権がどちらに渡ったとしても
両親は子供に定期的に会って話しその愛を確認する。
日本ではなかなか見られない光景だがフランスではそれが自然な社会の形だ。
これはフランス人が人生を愛すべき舞台として保つための秘訣のような気もする。

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『ジェラシー』ではそんな典型的なフランスの親子関係が描かれていた。
この物語はガレルの父モーリス・ガレルをモデルにした物語になっているという。
またその主人公を実の息子ルイ・ガレルが演じており、
ルイの実の妹エステル・ガレルも妹役として映画に出演している。
脚本には現在の妻であるキャロリーヌ・ドリュアス=ガレルが参加しているというから
一家総出で映画に情熱をかけているという奇跡のような家族映画だ。
しかし、このような家族ぐるみで純粋な映画制作ができるのも、
日本と違うフランスならではの文化的土壌がなせるものだと思う。
ガレルにとって、映画は家族であり、家族は映画であるのかもしれない。

"La Jalousie" 『ジェラシー』 (2013/フランス)
監督:フィリップ・ガレル
撮影:ウィリー・クラン
出演:ルイ・ガレル、アナ・ムグラリス
# by kou-mikami | 2014-09-18 10:03 | パリの映画
『アデル、ブルーは熱い色』
『アデル、ブルーは熱い色』をようやく観た。
映画史上初めて監督と主演女優2人にパルムドール賞(最高賞)が受賞されたことで
話題になっていた作品だが、
個人的には青い髪のレア・セドゥが出演することで一年ほど前から気になっていた。
青い髪という設定は原作のフランス漫画(バンドデシネ)から来ていて
そのビジュアルインパクトがなんだか日本の漫画のキャラクターに重なる気がした。

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まず上映時間が3時間と聞いてその長さに驚いた。
映画を観て、たしかに長かったが、それは悪い意味ではなく、
まるでアデルという女性の人生に何年間も入り込んだような濃密な3時間だった。

【ストーリー】
恋に不器用な高校生アデルは、道ですれ違った青い髪の女性エマに一瞬で恋に落ちる。
同性愛者が集まるバーで偶然エマと再会したアデルは、彼女との距離を徐々に縮め、
美学生エマの不思議で哲学的で奔放な世界観に魅了されていく。
そして、自分の中にある性に気づき、肉体を重ねることの歓びを知る。
数年後に幼稚園の教師になったアデルは、エマと同棲しながら彼女の絵のモデルをつとめて幸せな日々を送るが、二人の距離は徐々に離れていく。

【女性同士の激しい恋愛を描いた映画】
映画は2人の女性の恋愛を描いた単純なものだった。
ストーリーに関しては他の恋愛映画と大差はないだろう。
アデルとエマが出会って、恋に落ちて、別れていく。
運命の出会い、それが女性同士だっただけだ。
しかし他の映画と決定的に違うのは、その圧倒的な激しさと表情のリアリティだ。
お決まりの恋愛映画やコメディ映画のワンパターン的な演技は微塵もなく
そこにあるのは本物の人間が放つ生々しく観ていて痛くなるほどの欲望だ。
スクリーンを通してアデルとエマの「生きるための歓び」がこんなにも直に伝わってくるのは
数分間の長いセックス描写のためだろう。

【生々しくも美しいセックスシーン】
この映画の見どころの一つは2人が愛し合うシーンだ。
アデルとエマの女性同士のセックスシーンはリアルで激しく長く、
触れ合う二人の肌の色の違いが際立って生々しい。
しかしこれがポルノではなく映画として成立しているのは
2人がお互いを本気で求め合っているからだ。
まるで自分自身の欠けた破片を補い合うように重なり合って眠る2人の姿は美しい。
幼い顔立ちのアデルが相手に求める視線の強さは、動物的な本能を感じさせて、恋が自然なものであることを改めて教えてくれる。
対照的な2人を引き合わせる磁場というものがどこにあるのかは分からないが、
その2人が惹かれあい一緒になるところに、この映画の美しさがある。

【愛を知る歓びの先にあるもの】
しかしこの映画は愛を知った主人公の「生きる歓び」を感じると当時に、
後半で「失う悲しみ」が表現されているところにこそ魅力がある。
「愛を知る歓び」は「愛を失う悲しみ」によってこそ、より強調される。
それは誰もが経験する普遍的な出来事であり、それこそが人生そのものだ。
唐突に訪れるラストシーンに、人生をやり直そうとする主人公の強い意志を感じられた。

【主演のエマについて】
エマを演じたレア・セドゥの演技力のすごさには今回改めて驚かされた。
特にアデルをアパルトマンから追い出すときの剣幕はかなり恐ろしい。本気すぎる。
『美しい人』のときの黒髪の主人公の役が個人的には一番好きだが、今回のブルーヘアーのレア・セドゥもインパクトが大きい。彼女はアデルが一目ぼれする運命の女エマを見事に演じている。
2013年2月号のフィガロジャポンのインタビューで彼女はこう語っている。
「私が思うに、ファム・ファタルというのは強靭さを持っている女性のこと。
突き詰めれば、男性に全く依存していない、すべてのことからフリーな存在という気がする」

【主演のアデルについて】
アデル役のアデル・エグザルコプロスは初めて観たが、すごい女優だった。
パリ出身で、9歳の時から演技の勉強を始めている。
ジェーン・バーキンが監督した映画『Boxes』や『黄色い星の子供たち』に出演し、
『Les Enfants de Timpelbach』では主演を務め、フランスで有名となる。
そして今回の映画『アデル、ブルーは熱い色』に出演し、パルムドールを受賞した。
人間の歓びと悲しみを豊かな表情で生き生きと表現していて、視線の強さが印象的。
恋を知らない高校生の幼さから、全てを失い再出発する女性の強さまでを完璧に演じていた。ビーバーのような動物的可愛らしさも魅力だ。
また一番印象的だったのは、自宅でアデルが口を汚しながら思いきりボロネーゼパスタを食べているシーンだったかもしれない。セックスも食欲も同じ人間の本能。それを貪欲に描ききった監督の強い意志を感じた。

『アデル、ブルーは熱い色』は簡単に言えば女性同士の激しい恋の物語。
しかしそれはレズビアンという枠を出て、肉体を欲する人間の生そのものだ。
偶然出会い、相手に触れて、また別れていく。
そのあまりの激しさはやはりフランス映画だ。
忘れていた熱い想いを思い出させてくれる強烈な作品だった。

『アデル、ブルーは熱い色』(2013)
監督・脚本:アブデラティフ・ケシシュ
原作:ジュリー・マロ『ブルーは熱い色』
出演:アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥ
# by kou-mikami | 2014-05-10 12:54 | パリの映画



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by kou-mikami
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