エリック・ファーユ『長崎』
フランスの作家エリック・ファーユの『長崎』を読みました。
2010年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞した小説の邦訳です。

数年前に日仏学院で彼の講演を聴いて以来ずっと気になっていたのですが、
その邦訳が2013年の秋に出版。ようやく読むことができました。
長崎に住む独り暮らしの男に起きた不思議な事件に関する物語。
平凡な日本人を主人公にした今までにないフランス小説です。
久しぶりに新しい世界を堪能しました。

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【ストーリー】

長崎市にある気象台で働く独身の中年男性シムラは
市のはずれにある一軒家で真面目で規則正しい生活をしている。
毎日同じ電車に乗って職場に行き、観測所のデータを解析する。
仕事が終われば同僚と飲むこともせずに帰宅する日々。
しかしある日、冷蔵庫のジュースが微妙に減っていることに気づき、
不審に思った彼は部屋に監視カメラを取り付ける。
そこに写っていたのは一人の見知らぬ女性だった。


【日常の中にふと開く穴をリアルに描く】

もし昼間は誰もいないはずの自分の家に、誰がいたら。
部屋にとりつけたカメラに、誰かが部屋の中を動くのが映っていたら。
あなたはどう感じるでしょうか。
恐怖、不審、不安。おそらく最初はそのような感情を持つでしょう。
しかし、しばらくするともしかしたら、そこに
もう一つの人生を見るかもしれません。

実際に合った新聞の三面記事に着想を得たこの物語は、
元ジャーナリストであった著者エリック・ファーユならではの
簡易でリアリティのある描写で読者を不思議な日常世界へと引き込みます。
そして小説全体がフランス文学ならではの深い暗喩に満ちています。
日常に空いた穴から人生の本質を探る静かな物語。


【フランス人から見たミニマルな日本社会を描写】

また小説の脇を固める設定も面白い。舞台はなぜか日本の長崎。
気象台で働く中年の独身男性が主人公というのがいいですね。
文章も読みやすく、フランス人から見た日本の生活も面白い。
日本のコミカルな部分やミニマルな日常風景が描かれる。
カウンターしかないトリスバーや炊飯器や弁当などの小道具を出すあたりに
著者の日本への愛着が感じられます(著者は日本映画をかなり観ているようです)
日本好きなフランス語圏の作家では他にアメリー・ノトンがいます。

フランスでアカデミー・フランセーズ賞をとった『長崎』。
フランス人から見るとエキゾチックな舞台設定なのでしょうか。
しかし単に異国情緒だけではない、ミニマルで深い世界が描かれています。


【平凡な男の人生をミステリー仕立てで人間の本質に迫る】

小説『長崎』はミステリー仕立てでありながら、
決して解決のできない人生の空虚さが描かれています。

主人公シムラは一軒家に独りで住みながら、変化のない生活を好んでいます。
しかしそこに女が現れることによって、彼は生活を脅かされれます。
しかしそのせいで自分の生活を省みるようになります。

彼女が自分の家に侵入したことに憤りと不審を抱きながらも
彼は彼女の痕跡が部屋のどこかに細胞レベルで残っているのだと思い、
そこに何かを感じ取ろうとするのです。

「女は炊飯器の上に指紋だけでなく、きっと死んだ細胞をも
残していったに違いない。(中略)その物理的特性はわたしたちにはまだよくわかっていないが、クォークや陽子はあらゆるものの鍵を持っているのだ。」

そして、平凡で孤独だった自分の人生に起きたこの事件について
深く考えるようになります。

「わたしの家で起こったことを、ある日、どうしても理解しようと望むなら、
おそらく今日からでも化石のような細胞を拾い集め、それらを研究しなければならないだろう。」

人間はいつでも一人きりの世界で生きているように思ってしまう。
それが人が孤独を感じる理由だろう。
しかし、あるときそうではないことにふと気付く瞬間がくる。
今自分のいる場所には多くの人の痕跡が残っているはずであり、
それは誰に伝わることなく漂い続けているのかもしれない。
そしてその痕跡を見つけることで、
自分自身も知らないうちにその場所に痕跡を残し、
変化していっているという事実を知る。

「その年はわたしを変化させつつあるということ、
そしてすでにしてわたしがもはや完全に同じ人間ではなかったということを
わたしは理解していた。
いかなる点での変化であったのか、それを定義することができなかっただろう。
しかし、その変化からまったくの無傷のままで出てくることはできないだろう。」


【もう一人の主人公】

この小説のもう一人の主人公は、彼の家に侵入した女です。

家を失った失業者の女がさまよう人生は、
平和でも意味のある人生でもなく、本当のあからさまな意味のない人生として
読者の前に提示されます。
それはいつかは過去となって消えていく人間の生活であり、
人生に意味などないという悲しみです。

「わたしに確信の持てたことがひとつあるとすれば、それはこれです。意味は存在しない、つまり、意味は前もって存在していなかったということです。意味の観念は、自分の不安に軟膏を塗ろうとして人間がでっちあげたものです。」

しかし主人公の男の家に侵入したことによって
彼女はかつての自分を思いだし、一時的に人生を取り戻します。
それは子供時代の自分の痕跡であり、
再び生まれた場所に戻ってきた鮭のような生物的な円環でした。


【タイトルの「長崎」の意味】

小説のタイトルは『長崎』。もちろん日本の長崎を舞台にしているからですが、
そこにはそれ以上の意味が込められているように思えます。

小説の中で長崎は「外部からの侵入者を受け入れる場所」という意味で
使われています。

自分の家を日本列島にたとえ、家の一番奥にある部屋の押し入れを長崎の出島に
たとえる比喩はなかなか面白いです。
オランダ人という外部の異人が知らないうちにやってきたように、
彼の家に闖入した女も、知らないうちに彼の人生に現れた。
それは恐れや不安であり、新しい世界の始まりでもあったはずです。

「そして江戸幕府は、その二世紀半もの間、ヨーロッパというひとりの密航者が
その衣裳部屋に棲みついたことを、いわば知らないふりをしていた・・・。」


【人間それぞれの帰る場所】

私はこの小説を読んで、自分にはどこかに帰る場所があるのだろうかと思った。
たとえば昔住んでいた家がもう誰かのものになっていたり、壊されてなくなっていたら
もう戻ることはできない。
それでも、いつかそこへ行きたいと思った。

「わたしは、だれでも自分の過去の記念の地に好きな時に戻ってくることができるという不可侵の権利があることを、世界中のすべての憲法に書き込むべきだと思います。
そしてひとりひとりに、その子ども時代が演じられたすべてのアパートや家や庭に近づくことを可能とする鍵束を預け、そうした思い出の冬の宮殿に何時間も留まることを許可しなければなりません。」

『長崎』は人生の居場所を探し求める物語だ。

エリック・ファーユ『長崎』
Eric Faye, Nagasaki(2010)

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# by kou-mikami | 2014-03-12 23:04 | パリの作家・芸術家
フランソワ・オゾン監督の最新作『17歳』
フランソワ・オゾン監督の最新作『17歳』を観てきました。

パリに住む17歳の美しい女子学生が娼婦になって売春する映画。
これだけだと少女の非行を扱った典型的なドラマを思い浮かべてしまうが、
日本のドラマのように転落の理由を大げさに分かりやすく演出するのではなく
ただひたすら彼女の日常生活が描かれている。
そこには家族があり友人があり、そしてその延長にホテルでの密会がある。
エレガントで気品漂う映像は、モデル出身で映画初主演のマリーヌ・ヴァクトの
美しい姿とそれを冷静に見つめる静かなカメラワークによるもの。
フランスでも未成年による売春の問題はかなり多いらしい。
しかしこの映画はドキュメンタリーでも売春についての映画でもない。
売春を通して彼女が求めていた何かを見つける映画となっている。

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【ストーリー(一部ネタバレがあります)】
夏、美貌の女子学生イザベル(マリーヌ・ヴァクト)は家族と一緒に過ごしていたバカンス先でドイツ人の男性フェリックスと初体験を終える。
しかしその翌日には恋は冷めてしまい、
バカンスが終わるころにはフェリックスに挨拶もせずにパリへ帰る。
秋、彼女は地元パリで名門高校に通いながら娼婦として金を稼ぐようになっている。
SNSを通じて客とやりとりし、家族には内緒でホテルに通い続ける日々が続く。
しかしある日、常連客であった初老の男ジョルジュがホテルのベッドの上で急死してしまう。動転したイザベルはその場から逃げてしまい、罪悪感を背負いながら以前の日常に戻っていく。
しかしその後、警察の捜査によって彼女が娼婦をしていたことが家族にばれてしまう。
そして冬がやってくる。

【主演女優マリーヌ・ヴァクトについて】
フランソワ・オゾンが見出したモデル出身の新人女優です。
その突出した美しさは観る人をスクリーンにくぎ付けにしますが、
彼女の魅力は、場面が変わるたびに印象を変える多面的な顔立ち。
シーンごとに変化する女性の役割をうまく表現している。
バカンスでのそばかすの残る少女の顔から、仲のいい弟と話すときの姉の顔、
どこにでもいるパリの女子学生の顔、そしてパリでの冷たく妖艶な娼婦の顔。
それは常に複数の顔を持つ女性という生き物の性質をよくとらえている。

【パリに住むリアルな家族を描き出す】
彼女をとりまく家族もいい役者がそろっている。
特に主人公イザベルの弟がとても自然で素晴らしい。
映画の冒頭も弟が姉を眺める視線から始まる。
姉と非常に仲が良く、なんでも話せる仲で、
姉の初体験についてしつこく聞き、姉を怒らせるほど。
弟の前ではイザベルも素の自分を出して、自然な笑顔を見せている。
その会話はとても自然で、映画とは思えないほどだ。
娼婦の顔と姉の顔のギャップを際立たせる意味でも、
この弟の存在はとても重要であり、イザベルの家族が
圧倒的なリアリティをもって浮かび上がってくる。
イザベルを心配する母や、すこしのんびりして穏やかな義父もまた
いい味を出している。
だからこそ観客は何故イザベルが娼婦の仕事をしているのか分からず、
彼女の無表情な姿に理解のできない恐ろしさを感じる。
『17歳』は家庭崩壊のようなドラマ的で画一的なストーリーではなく
ごく普通の幸せな家族を丁寧に描くことによって、
彼女の抱える問題を非常に繊細に表現している。

【イザベルという女性の恐ろしさ】
そんな家族の中で、イザベルだけが他の生き物のように見える。
初めて恋人のできた女性としての可愛らしい笑顔、家で弟に見せる姉としての素の笑顔
しかしその奥に横たわっているのは底の見えない無表情だ。
パーティーでキスをした同級生と付き合うようになり、
一見映画はハッピーエンドに進んでいくかのように錯覚する。
しかし、家に招いた同級生のボーイフレンドに対し、「セフィニ(もう終わり)」と告げる。その理由はよく分からない。
しかし彼女の表情の冷たさは人生には愛も喜びもないと言っているように見える。
家族には秘密にしている娼婦の顔こそが、彼女の本性にも見えるけど、それさえも本物ではない。彼女の行く先がまったく見えないまま、映画はラストに向かっていく。
美しい映像の中に女性の恐ろしさを描いたこの作品は
以前に見たオドレイ・トトゥ主演の『テレーズ・デスケルウ』にも似ている気がした。

【思春期の本当の姿を炙りだす】
彼女が恐ろしいと書いたが、それはもしかしたら思春期特有のものかもしれない。
映画に出てくるのは全て思春期によくある一場面。
初めての恋、学生生活、家族との確執。
それはあとから思い出すと美しく懐かしい時期なのかもしれないし、
実際に思春期を扱った映画には感傷的で美しいものが多い。
映画『17歳』の中で高校生が授業で朗読するランボーの詩のように、
それは美しい果実や心地よい風のように見える。
しかし実際には不安定で傷つきやすく、子供にとって最もハードな時期。
性を知ることで、今までにない自分を見つけ、どれが本当の自分か分からなくなる。
イザベルが浜辺でセックスをしているとき、もう一人の自分が暗い浜に立って
じっと自分の行為を観ているという場面がある。性を見つけることによって
もう一人の自分が現れてくる思春期の瞬間をオゾン監督は見事に映像化した。
そして不意に現れたもう一人の自分を探すためにする冒険が、『17歳』なのだろう。
しかし不幸なことに、彼女が向かったのは娼婦として人と交わることだった。

【売春によって得た束の間の自由】
売春のやり取りの場面は非常にリアルだ。
「水曜日に○○ホテルで300ユーロ」というような内容をメールでやり取りし、
年上の男性とホテルでの密会を重ねていく。
それぞれの客の嗜好も違うし、その映像から欲望の細かさや慌ただしさを見てとれる。
ここまで細かく描いたのは、イザベルの成長の一部に売春が重要な役割をしているから。彼女は普通の恋愛よりも売春に静かな生きがいをもつようになっている。
そこには金銭のやりとりという安心感があり、確かな実感があるためだろう。
自分だけの秘密を持つことにより、自由になれたという錯覚もあるかもしれない。
その中でジョルジュという初老の客に出会い、彼にだけは心を開くようになる。
その後ベッドでの彼の死がイザベルの人生に大きな影響を与え、
彼の妻(シャーロット・ランプリング)が彼女へ重要な人生の道を指し示すことになる。
あたかもイザベルの守護神のように。

映画に出てくる彼女の恐ろしさは、もう一人の自分を探そうとしても
見つからない彼女のもがきでもある。
娼婦をしたいわけでもなく、ただもがく行為の結果として売春があったのかもしれない。

この映画は、一言で言えば美しかった。
美しいもので出会ったとき、
その秘密をもっと探りたいと思う。
しかし彼女の先には何も見えない。
彼女の瞳が見ているのは追っても追いつけないもう一人の自分なのかもしれない。

『17歳』("Jeune&Jolie" 2013/フランス)
監督:フランソワ・オゾン
出演:マリーヌ・ヴァクト、ジェラルディン・ペラス、フレデリック・ピエロ、ヨハン・レイゼン、シャーロット・ランプリング
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# by kou-mikami | 2014-02-23 11:34 | パリの映画
ロウ・イエ『パリ、ただよう花』
ロウ・イエ監督の新作『パリ、ただよう花』を観ました。
この映画を観ようと思ったきっかけは、まずパリが舞台だということ。
そしてパリに住む中国女性が主人公だということでした。
パリでありながらフランスではない世界を見せてくれるのがパリに住む外国人の暮らし。
それはフランス人が知らない「もう一つのフランス」です。
以前パリに暮らしていたこともあり、観光大国フランスの影の部分に興味があったため
懐かしさからこの映画を観たいと思いました。

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映画は異邦人の日常生活というよりは恋愛のみを主軸に進んでいきます。
カメラは主人公の不安定な恋愛をただ執拗に映していく。
恋人に捨てられる場面から始まり、次の恋愛が始まり終わるまでを
カメラはまるで空気のように至近距離から追っていきます。
失恋の悲しみと異邦人であることの疎外感が
辛辣な彼女の顔のアップと殺伐としたパリの風景で上手く表現されています。

【ストーリー】
中国人留学生であるホア(花)は、パリでフランス人の恋人に捨てられる。
失意の中、通りを歩いている時に建設工の男マチューと偶然出会う。
粗野でせっかちな性格のマチューに半ば無理やりに関係を迫られ、
ホアはマチューと付き合うようになる。
しかしインテリを憎む肉体労働者のマチューとは喧嘩ばかり。
うまくはいかず、結局ホアは北京に戻ってかつての同棲相手と婚約し、
通訳の仕事も得て、国際的な活躍の場を与えられる。
しかしその後彼女が向かったのは、パリ郊外の貧しいマチューの故郷だった。

【都会の愛と孤独を描き続けてきたロウ・イエ】
監督は『天安門、恋人たち』(2006)のロウ・イエ。
カンヌ映画祭で上映され過激な性描写で話題になりましたが、
彼は中国当局から5年間映画制作禁止処分を受けます。
その後、同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』(2010)をゲリラ撮影で制作しています。
中国・上海出身の監督は今まで一貫として描き続けてきた「都会の愛と孤独」を表現してきました。

そして撮影場所を初めて海外に移し、パリを舞台にした最新作が『パリ、ただよう花』です。
原題は『Love and Bruises』ですが、この邦題で正解です。
花は、主人公の名前でもあり、ただパリを漂っています。
パリは彼女にとって流れるための場所。故郷北京と反対にある世界です。

【理由の分からない恋愛】
知性的なホアが好きになるマチューは典型的な肉体労働者。
『預言者』、『Grand central』のタハール・ラヒムが演じています。
インテリ層にいるホアと建設工マチューとの対比が面白いです。
マチューは根は優しいけど、粗野で軽率な面があり、
賭けとして友人に彼女を売ったり、アフリカ人の妻がいることを隠しています。
またホアの友人である知識階級の中国人たちを憎み罵倒します。
普通であれば、こんな男とはすぐに別れるはずですが、
それでもホアは、マチューとの逢瀬を重ねてしまいます。
その理由が私にはよく分かりませんでしたが、
おそらくそこには心とは別に、ただ肉体を求めるしかない
ホアの悲しい欲望があったのかもしれません。

【パリの野生動物】
『パリ、ただよう花』には、本来セックスとはそういうものではないかと思わせる動物的強さがありました。
もともとセックスは食べることや寝ることと同じ人間にある欲求(本能)の一つ。
それも生きることに直結する大事な欲望です。
これがあったからこそ、人類はここまで地球上で生き延びてこられました。
他の生物にもそれは当てはまりますね。
しかし現代の都会の中でその欲望は抑制されています。
でもホアはその抑制された都市に不満をいだいて漂いながらセックスを求めている。
その姿はまるでパリを徘徊する野生動物のようでもあります。
これは本来の生物に帰ろうとする人間の物語とも言えます。

【映像について】
まるでドキュメンタリーのような映像は荒々しく生々しい。
特にホアとマチューが最初に出会った日の二人のやりとりはリアル。
夜に建設現場で無理やりホアをレイプしてしまうシーンの長回しは
その場に居合わせたかのような気まずい臨場感がありました。
ホアの顔のアップが多かったのも印象的で、監督は言葉ではなく
彼女の表情に全てを語らせたかったのかもしれません。

【彼女は人生に何を求めているのか】
彼女は寒々しいパリの中でただセックスを求めているように思えます。
相手を愛しているのでもなく、寂しいのでもなく、ただ性交を重ねる。
しかしそれはどこにも辿り着かない浮遊した空しい生活です。
恋愛に疲れた彼女はようやく北京に戻ってかつての同棲相手と婚約をしますが、
将来を決めた彼女の顔には絶望しかありません。
その表情は自由を求める野生動物としてのホアの本音を浮き彫りにします。
結婚には安定と平和があるが、そこに恋愛や刺激はない。
彼女の絶望は、彼女が安定よりも刺激を大事にしていることを物語っています。
簡単に言ってしまえば、おそらく彼女は自由を求めているのでしょう。
しかしそれはいつも悲しみに変わり、決して手に入らないのです。

生きることは、セックスそのもの。しかしそこには何もない。
どこにもたどりつかない彼女の生き方を見ているとそう思えてしまう。

『パリ、ただよう花』"Love and Bruises"(2013)
監督:ロウ・イエ
出演:コリーヌ・ヤン、タハール・ラヒム
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# by kou-mikami | 2014-01-18 10:35 | パリの映画
フランソワ・トリュフォー『華氏451』
久しぶりに『華氏451』を観ました。
SF映画が好きで、よく見ていますが、
中でもフランソワ・トリュフォーのこの作品は
映像がSF的でないために、余計に心に残る不思議な作品です。
レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』が原作になっています。

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【この映画の背景】
本を読むことが禁止された近未来社会。
書物は発見され次第、消防士たちによって焼却処分されます。
有無を言わせないその作業は冷酷でありシステマティックです。
本来火を消すはずの消防士が、未来では本を焼く仕事に変わっている点が
ユニークで面白いです。
何故本が禁止されるのかという理由も興味深く、
それは真実ではない人間の物語は人を不幸にするため。
では小説以外の書物はよいのかというとそういうわけではないらしく、
哲学書や思想書はさらに危険な思考を人に植え付けるため
本という本は全て焼却処分の対象になっています。

本のない近未来の日常生活は味気ないものとして描かれています。
ただ大きなスクリーンでエクササイズらしき映像や政府発信のニュースを
眺めて一日を過ごしています。また頭を使う暇を与えないと考えられる
スポーツも奨励されているようです。
考えないことは幸せなことだという政府のスローガンが
国民のほとんどに浸透した全体主義の世界です。
これは1956年制作のイギリス映画『1984』にも通じる世界観です。

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【ストーリー】
消防士として日々本の焼却を行うモンターグは
本を1冊も読んだことがなく、読書は人を不幸にすると信じている。
あるとき通勤モノレールの中で近所の女性クラリスと出会い話をする。
彼女は本の素晴らしさを知っていたが、彼はそれを信じずに否定する。
ある日、ふとしたきっかけでモンターグは本を読み、その虜になる。
しかしそのことが妻や消防団にばれてしまい、逮捕を恐れて街を逃げ出し、
クラリスが教えてくれた本のユートピアを目指す。

【映画の矛盾点】
消防士の上司が作家名や小説のタイトルを口にする場面がありますが
本を嫌悪し焼くだけの仕事をしている消防士たちが
何故そこまで文学に詳しいのかが不明です。
監督としては自分の好きな小説を、会話の中に登場させたかった
のかもしれません。

また逃亡した主人公が捕まらなかったために
政府が嘘の犯人をでっちあげるシーンがありますが
犯人逮捕をせずに嘘の情報ばかりを流していたら、
政府の敵たちはどこかに集まり、レジスタントになる可能性があるのでは
ないでしょうか。全体主義国家にしては対策が甘いと感じました。

【印象に残った映像】
『華氏451』はSF映画ですが、SFらしいところはあまりありません。
しかし個人的にはそんなレトロな部分に強く惹かれます。
自然の多い田舎の町に何故かモノレールが走っていたり、
(乗客がレトロなUFOのように梯子で降りてくるシーンも面白い)
大型スクリーンが置かれた部屋の内装はシンプルで未来的ですが
東洋的なオブジェなどが置かれて少し異様な雰囲気です。
60年代の欧米の家はこんなリビングだったのでしょうか。

他に、発見した本を金網の上で焼く場面もSFとは思えないアナログさ。
あきらかに合成と思われる、警察が空を飛んで主人公を
捜索するシーンも、『マイノリティ・リポート』の原点のようで面白い。
テレビの中の人物と会話できるシステムも、まさに21世紀を先取りしていますが、
会話がほとんどかみ合わず、全体主義的な重苦しさを感じさせます。
今見ると、かなりシュールな雰囲気が映画全体に漂っていますね。
そんな映像の細かな部分を見るのも、SF映画の楽しみの一つです。

【感情が失われた社会は今の世界にも通じる】
この映画で特に印象に残ったのは、
近未来社会では皆、感情を恐れていることです。
家では部屋の中にある巨大スクリーンを見て過ごしているため
人間の感情は失われ、映像に魂が奪われているかのようです。
しかしあるとき、主人公が禁止にされている小説を妻の友人たちの前で
朗読すると、友人の一人が感動して泣きだしてしまいます。
しかしその涙を、皆怖がり本に対して恐怖を感じるのです。

それは私たちのいる社会から見たら異常であり信じられないことですが
テレビやパソコンを見る現在の日常からかけはなれているとは思えません。
むしろ、現在の社会の延長線上に『華氏451』の世界はあるのかもしれません。

「華氏451」"Fahrenheit451"
監督:フランソワ・トリュフォー
制作年:1966年
主演:オスカーウェルナー、ジュリー・クリスティ
原作:レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
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# by kou-mikami | 2014-01-13 15:31 | パリの映画
少女の思春期をリアルに描いたフランス映画『水の中のつぼみ』
ずっと気になっていたフランス映画『水の中のつぼみ』をようやく鑑賞しました。
制作当時27歳だった女性新人監督セリーヌ・シアマのデビュー作。
パリ郊外に住む少女の憧れや初恋を描いた作品です。
出てくる3人の少女一人一人の個性がリアリティをもって描かれ、
特に純粋で真剣で露悪的なところが、少女という存在の普遍的な特徴を捉えていました。
思春期の少女たちの変化と残酷さを見せてくれる美しくユニークな映画です。

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【ストーリー】
舞台はパリ郊外。
15歳の少女マリーは、小太りで冴えない親友アンヌといつも一緒だった。
あるときシンクロナイズド・スイミング教室の競技大会にアンヌを応援しに行くが、
そこで他のチームにいた魅力的な年上の女性フロリアーヌに目を奪われてしまう。
大会後、彼女へ近づきたくてシンクロ教室に入ることを決めるマリーだったが、
フロリアーヌはそんなマリーを煙たがり、冷たくあしらって相手にしない。
しかし親元を離れない子犬のように自分を慕い続けるマリーを見ながら
フロリアーヌは徐々に彼女に対して心を開いていく。
年上の女性と行動を共にすることで新しい世界を知っていくマリーだったが、
フロリアーヌのよくないある噂を耳にして当惑する。
そして今まで仲のよかった親友アンヌとも次第に距離を置いていく。


【憧れは自分を見失うこと】
ほとんど少女だけしか登場しない狭い世界の物語ですが、
これは誰もが経験する「新しい世界への憧れ」を描いた作品。
小学校から中学校の初めまで、子どもは穏やかで小さな世界に属しています。
しかし、ある日その向こうに大きな世界があることに気が付きます。
この映画はその世界を発見した瞬間から始まります。
オープニングの音楽のない水中映像は、少女が観た新しい世界そのもの。
そんな憧れの眼差しがカメラを通して観客にも直接伝わってきます。
主人公マリーにとっては、シンクロの大会で見かけたフロリアーヌの姿こそが
今までにない「新しい世界」だったのです。

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しかし、それは一方で今までの「古い世界」の消滅も意味します。
今まで親友だったアンヌ(古い世界)に急に嫌悪感を持って距離を置くようになり、
その代わりとして憧れのフロリアーヌ(新しい世界)に近づきます。
しかし、それは生まれて初めての経験であり、親しんだ世界ではありません。
新旧2つの世界の間でとまどう矛盾ばかりの自分の存在に苦しむことになります。
憧れによって自分を見失い、今までいた世界を嫌悪し捨て去っていく。
ここまで思春期の誕生を克明に描いた映画はないかもしれません。


【もう一人の主人公アンヌ】
主人公はマリーですが、
映画はマリーの親友アンヌの視点も追っていきます。
マリーがフロリアーヌに憧れをもったのと同じ日に
アンヌも一人の男性フランソワにプールの更衣室でばったり出会って恋をします。
偶然にもマリーとアンヌは同じ日に、新しい世界を見つけるのです。
しかしアンヌは自分の容姿にコンプレックスを持ち、自信を持つことができません。
それでもなんとかしてフランソワの気を惹かせたいというしたたかな思いが
リアリティのある不器用な行動を持って描かれています。

その日以降、二人は同じ空間にいながらも、別の世界に目を向けるようになります。
今までどおり日常生活は続いているのに身近な相手に関心を持たなくなる残酷さや
思春期独特のすれ違いや苛立ちが、とてもリアルに描かれています。


【映画とは思えないリアルな演技】
登場する3人の少女役の女優はどれも個性的な素晴らしい演技をしています。
主人公マリー役のポーリーヌ・アキュアールは、一途な少女をどこまでも純粋に演じます。
特に未知の世界を見つけた彼女の、自己を失うほどの真剣な瞳は一見に値するほど魅力的です。
マリーの親友アンヌ役のルイーズ・ブラシェールはコンプレックスだらけの
どこにでもいる少女を、どこまでもリアルに演じています。
マリーが憧れるフロリアーヌ役のアデル・エネルは
大人びた演技で、子どもと大人の間で揺れる繊細な少女を演じています。

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【この映画のもう一つの舞台、水】
またこの映画は水を舞台にした映画と言えるかもしれません。
邦題『水の中のつぼみ』が意味するように、彼女たちは常に水の中にいるのでしょう。
身近にありながら普段は気にも留めず、それでいて常に変化する透明な液体。
オープニングは水中でのシンクロのシーンから始まり、ラストも水の映像で終わります。
水に入ることによって新しい世界に出会い、その水におぼれて自分を見失い、
そして最後にはその水の中に安息地を見出していく。
全ての少女が通る不安定な時期を、水を利用することによってうまく映像化した映画です。


【原題Naissance des Pieuvresの意味】
『水の中のつぼみ』の原題は"Naissance des Pieuvres"(タコの誕生)。
タコにはフランス語で「厄介な存在」という意味があるようです。
少女の思春期という「美しいけれど不安定で厄介な存在」が生まれる瞬間を描いた映画と言えるかもしれません。
フランス少女の初恋や憧れが女性監督の目線で描かれています。
『水の中のつぼみ』は珍しく邦題が素晴らしい映画です。
原題そのままの『タコの誕生』では日本人には意味が分かりにくいし、
プールで生まれる少女の初恋や憧れをうまく表しているタイトルです。

幻想が失われたとき、二人は成長します。
最終的に憧れを捨てることで、少女は大人になっていく、
何故なら憧れを持ったり他人の教えを受けている間はまだ自分というものはない。
それを乗り越えて初めて、自分が生まれるのだと思います。
この映画はそんな「誕生」の映画であるのかもしれません。

『水の中のつぼみ』("Naissance des Pieuvres" 2007)
監督:セリーヌ・シアマ(Celine Sciamma)
出演:ポーリーヌ・アキュアール、ルイーズ・ブラシェール、アデル・エネル
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# by kou-mikami | 2013-09-07 09:34 | パリの映画



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