ダヴィド・フェンキノス『ナタリー』
久しぶりに現代フランス作家の恋愛小説を読みました。
読みやすい文章、軽やかな文体、物語と関係のない断章の数々、
いかにも女性に好まれそうな現代作家といった感じです。
ネットで見る限り、日本人女性読者の評価は高いようですね。

最初の数ページはよくある恋愛小説かなと思っていましたが、
その後大きな喪失を経験した女主人公の心理が非常に細やかに描かれ、
また彼女を取り巻く登場人物のコミカルさが非常に面白く、惹きこまれました。
主人公たちの映像が頭に浮かび、映画を観ているような感覚でした。

e0141635_1972082.jpg


【ストーリーについて】
幸せな結婚生活をしていたパリに住む女性ナタリー。
しかしある日夫のフランソワを交通事故で失くします。
その後、深い喪失感を抱えながら自宅にひきこもっていましたが、
ある日会社に復帰してひたすら仕事に打ち込む毎日が始まります。
しかし彼女の心は以前と同じで固く閉ざされたままでした。
会社の社長シャルルの誠意とセクハラの交じった誘惑にも無反応で、
バーで出会ったいい感じの男性との夜も自分から逃げてしまいます。
もう仕事以外の何も彼女の関心を引き付けることはできませんでした。
しかしあるときオタク気質で冴えないスウェーデン人の部下マルキュスが
彼女のオフィスに入って来た時、彼女にある変化が生まれます。

この小説は平凡な日常とどこにでもありそうな恋愛を扱っていながら、
心理描写と一見意味のないディティールを巧みに配置することで、
読者に先へと読ませる力を持っています。
後半からの展開はあまりに唐突で奇抜なストーリーだと思いましたが、
普通の恋愛小説とは全く異なる状況が反対にリアリティを感じさせます。
読み終わって、この物語の伝える視点の面白さに気付きました。

【喪失のあとにやってくる変化】
この物語は人間についての鋭い観察記録とも言えます。
深い喪失で苦しみを持っている人は、もう何かを楽しんだり幸せを感じたりすることが
難しいと思えてしまうことがあります。特に親しい人を失った時には。
しかし人間の身体は常に変化をしています。
心は閉ざされていても、生命としての身体が自分自身を
あるとき次の人生へ突き動かしていくことがあるのかもしれません。
そんな可能性を感じさせてくれたのが『ナタリー』でした。

【3人の視点から描き、男女の心理を両側から描写】
またこの小説の面白いところは、心理描写の主体が変わることです。
もちろんナタリーが主人公なのですが、部下マルキュスや社長シャルルの
視点からみた男性心理の変化も描かれていて、
愛する女性を得ようとする男性の滑稽なまでの思考や行動が興味深い。
履歴書の写真を見た時からナタリーを気に入ってしまった社長シャルルは、
様々な策を使って夫を失ったナタリーを誘惑します。
しかし最終的にはナタリーに拒絶されて絶望の淵に落とされます。
しかしその悲しみによって、彼には新しい変化と今までにない感情が生まれます。

【フランス企業内のコメディ】
また『ナタリー』は企業内のコミカルな人間模様を描いた小説としても楽しめます。
スウェーデンと取引のあるフランス企業が舞台ですが、
出てくる人物はどれもキャラクターが立っていて、漫画の人物のようでもあります。
セクハラをする社長に噂好きの部下など、だいぶ誇張されているようにも見えますが
フランス人にはこのような人がいるだろうなというリアルさも感じさせます。

【小説に登場する音楽と文学】
小説の中に実在の音楽や文学、映画が登場することも印象的でした。
主人公と亡き夫の思い出の曲として
アラン・スーションの『逃げ去る愛』が出てきます。
これはフランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルシリーズの
最後の作品『逃げ去る恋』(L'Amour en fuite/1979)の中で流れていたもの。
個人的にこの映画シリーズが好きなので、ナタリーの存在が
すごく身近なものとして感じることができました。
また彼女が読んでいた小説はコルタサルの『石蹴り遊び』。
幻想作家の長編を読む女性、一筋縄ではいかない感じが伝わってきます。

読後感としては、とても読みやすい恋愛小説でした。
なんだか最近の恋愛映画を観たような感じで、
登場人物の滑稽なキャラクターや目に浮かぶような描写も映画的です。
しかし決して軽い小説ではなく、そこに含まれる人間への観察眼は
まさにフランス小説といった深い味わいがありました。

ちなみにオドレイ・トトゥ主演ですでに映画化されており、
原作者ダヴィド・フェンキノスが弟と共同で監督をしています。
こちらも是非観てみたいと思います。

『ナタリー』"La Delicatesse"(2012)
ダヴィド・フェンキノス著
中島さおり訳
[PR]
# by kou-mikami | 2013-08-30 19:07 | パリの作家・芸術家
アメリー・ノートン『チューブな形而上学』
ベルギーの作家アメリー・ノートンの小説『チューブな形而上学』を読みました。
生まれから3歳までの記憶を元にした驚くべき物語(自伝)です。

e0141635_9165965.jpg


デビュー作『殺人者の健康法』を読んで以来、
彼女の作品の独創的な世界観に毎回魅せられてきました。
あまりにミニマルで深い世界を独自の理論で掘り下げて真理へと導く彼女の作風は
ヨーロッパで最も人気のある作家と言われ、新作が出るたびに注目されています。
外交官を父に持つアメリーは、5歳まで日本で暮らしていたそうで、
日本への強い想いが描かれた小説が多いのが特徴です。
日本企業を舞台にした『畏れ慄いて』は映画にもなりました。

今回の『チューブな形而上学』も日本が舞台です。
場所は彼女が幼少時代を過ごした大阪の夙川。
自分がこの世に生まれてから3歳までの自伝という形をとった信じられない小説です。
ほとんどの人間が記憶の外にあるはずの3歳児までの世界を
彼女はなんとも哲学的に語っています。
どこまでが本当のことなのか分からないほど、物語は理論的であり驚異的です。

「はじめに無があった」という書き出しで始まりますが、
これは新約聖書の書き出し「はじめに言葉があった」と掛けています。
おそらく世界の始まり、宇宙の始まりを意味するのでしょう。
たまに子どもとは宇宙からやってきた生命なのではないかと感じることがありますが
もしかしたら本当に一つの新しい宇宙が体内に潜んでいるのかもしれません。
生まれたばかりの頃、主人公は自分のことを「神」だと信じ、「無」であることに満足していました。

「神は完璧なる充足であった―
何も欲さず、何も期待せず、何も知覚せず、何も拒絶せず、何に対しても興味がなかった。」

つまり彼女は存在するだけの存在で、周りの世界には全く無関心だったのです。
泣き声もあげなければ手足を動かすこともせず、周りの世界を見ることもない。
ただ体内に栄養を摂取し、排せつするだけの生き物。
タイトルにある「チューブ」とはそんな「入れて出すだけの状態」からきています。
これは通常の人間の子供ではありえない異例のケースです。

何に対しても反応せず動くことさえしない主人公を両親は心配し、医者に見せますが解決はしません。
人間としての特徴を持たない主人公に対して、両親は彼女を「プラント(植物)」と呼びます。この辺りはアメリー・ノートン独特のブラックなセンスです。

彼女は人生の約2年間をこのような無として過ごします。
そして生まれてから2年半が経ったある日、
ベルギーからやってきた祖母がくれたベルギー産のホワイトチョコレートを食べることによって、世界は素晴らしい知覚に満ちていることを初めて知ります。
具体的なお菓子が、彼女を人間の世界に連れて行ったという事実が面白いです。

「喜びというのは素晴らしいものだわ。だってわたしが『わたし』だってことを教えてくれたんだもの」

彼女はホワイトチョコレートの甘みによって自分を獲得したのです。
この視点については、人間の存在について深く考えさせてくれます。
自分とは何か。それはおそらく今この場所で知覚している状態そのものなのでしょう。
世界に対して寒いと感じたり暑いと感じたり美味しいと感じることこそ
自分の存在を教えてくれるもっとも確かな証拠です。
美味しさを発見することは自分を発見すること。
それほどまでに味覚とは大事なものなのだと改めて実感させてくれるエピソードです。

2歳半にしてようやく人間となった主人公はその後
ベルギー人の両親、兄と姉、優しい日本人家政婦のニシオさんに囲まれながら
様々な興味をもって周りの世界を知って行きます。
この辺りから家族の日常生活がユーモアをもって描かれ、
コメディ的な要素が詰まったエピソードがいくつも挟まれます。
特にベルギー人の父親が仕事の合間に「能」を習い始めた下りは非常に面白いです。
ベルギー人から見た日本文化という視点でもこの本は非常によくできています。

主人公は通常の子供と同じ、いやそれ以上に世界に関心を持ち成長していきます。
外交官という父の仕事に興味と疑いを持ち、海水浴場で死への恐怖を体験し、
鯉という口を開けて餌を待つ魚の醜さを嫌悪し、本を読んで言葉の持つ力に感動します。

「本の中で『猫』という単語を見たら、
それは私の知っている近所の美しい目をした猫とは違う猫のことだ。
けれども本の中のその単語は、わたしに近所の猫が見せてくれた眼差しを思い起こさせ、
その猫に見つめられた時のような喜びを与えてくれる。」

しかし3歳になったある日、世界は大きく変化します。
大好きだった家政婦のシニオさんが辞めると言い出した時、
世界はいつか壊れることを初めて知ります。
そして、いつか日本を離れなければならない事実も知ってしまいます。

「与えられたものは奪われてしまう。ある日、ある時、何の理由もなしに、
恐ろしく厚かましい力があなたの人生を襲うのだ。」

3歳にして人生の空しさを感じた主人公の思考能力に驚きます。
美しい季節は二度と戻らぬことに悲観し(まだ四季が巡ることを知らない時期です)、
池で餌を待つ鯉の口に人間自身への不快感を感じとります。
結局人間は何かを呑み込んでは空になるチューブのような存在でしかないことに空しさを覚えます。
そしてある恐ろしい事件が起こります。

この物語で展開される彼女の思考は、3歳児にしてはあまりに高度で繊細すぎる気もします。
しかしもしかしたら自分が覚えていないだけで、
3歳までの人間は通常とは異なる鋭敏な感覚を持っていたのかもしれません。

「三歳という年齢では、あなたはまるで火星人だ。初めて降りた地球で発見したものに魅了され、同時に恐れを抱く。前代未聞の不透明な現象を観察するが、そのどれもが理解できない。
あなたは自分自身の観察の結果に基づいて、自分だけの法律を創案しなければならない。」

生まれてから3歳までの記憶を元にした物語。かつてこんな小説はありませんでした。
今までにない新しい世界を作り出すことが小説の役目だとしたら、
彼女の小説は完全な成功を収めたと言っていいでしょう。

まだ記憶の外にある存在だった自分を掘り起こすような体験をしたい方には
おすすめの小説です。
[PR]
# by kou-mikami | 2013-08-24 09:21 | パリの作家・芸術家
クロード・ミレールの遺作『テレーズ・デスケルウ』
2013年のフランス映画祭で『テレーズ・デスケルウ』(Therese Desqueyroux)を観た。
この映画を観ることにした大きな理由は2つ。
女性のダークサイドを描いた映画であるということと
主演が『アメリ』で有名になったオドレイ・トトゥだということ。
2012年に他界したクロード・ミレール監督の遺作となったこの映画は、
私にとってずっしりとした印象を残す素晴らしい映画だった。

e0141635_18491757.jpg


ストーリー
女性のダークサイドというのは映画祭のチラシに書かれていた言葉だが、
原作を読むと、それは一言では説明できないもっと深いものであることに気づく。
原作はフランソワ・モーリアックの小説『テレーズ・デスケルウ』(1927)。
舞台は20世紀初頭のフランス・ランド地方アルジュルーズ。
財産目当ての家同士の結婚が普通だった時代の女性テレーズが主人公である。
良家の娘だった読書家のテレーズはデスケルウ家の長男ベルナールと結婚する。
嫁ぎ先のデスケルウ家は広大な松林を所有しており、結婚によってテレーズも
松林の一部を財産として手に入れることになる。それも計算の一つであった。
そして彼女はテレーズ・デスケルウとして頼りになるよき妻になろうとした。
周囲の期待応えて普通に結婚すれば、全てはうまくいき悩みも消えると思っていた。

e0141635_18515711.jpg


しかし平凡で想像力のないベルナールとの結婚は退屈そのものだった。
夫は猟にしか興味を持たず、彼女の文学や精神生活について理解してくれない。
子どもの頃から巣食っていた彼女の空虚な心の穴は徐々に広がり続ける。

原作の文章を借りれば、「テレーズが平和だと信じていたものは、実は仮眠の状態であり、胸の中にひそむ爬虫類の冬眠にすぎなかった」。この「爬虫類」という表現がその後彼女が起こす不可解な事件を暗示しているようで恐ろしい。その予感は結婚の日当日から始まっており、彼女は親友のアンヌとキスをしたとき「突然自分が虚無感にとらえられた」ように覚え、「自分の内側にあるこのどす黒い力と、おしろいを厚くつけた可愛い姿とのあいだに限りない距離感を感じたのである」。
映画の中のテレーズも結婚式当日に心からの笑顔はなく、どことなくぎこちない不安がつきまとっている。
美しい結婚式であるはずの風景が観る者になんとなく居心地の悪さを感じさせてしまう映像である。
マリッジブルーではなく、結婚当日にさえこのように感じてしまう彼女の闇とはどんなものなのか、その後の展開が非常に興味深くなる場面だ。

e0141635_18531771.jpg


そんな空虚な結婚生活が始まったある日、ベルナールの弟でテレーズの幼馴染だったアンヌが家族が選んだフィアンセとの結婚に反対し、貧しい家の青年に恋する。
アンヌと青年の恋をやめさせるように夫から頼まれたテレーズは青年のところに行って話をするが、逆に青年の文学への情熱や精神生活に心を動かされる。青年が告げたのは恋の素晴らしさであり、家同士の結婚の空しさであった(ちなみに青年がテレーズに『地の糧』を読んだかと聞くシーンがあった。これはアンドレ・ジッドの小説で、カミュが『孤島』に次いで影響を受けた書物)。
恋愛の素晴らしさを目の当たりにしたテレーズは、ついに夫に対してある恐ろしい計画を実行する。

e0141635_18554971.jpg


女性が持つ空虚な穴を描いた恐ろしい映画
このようにストーリーだけを書くと、よくある愛憎の殺人ドラマに見えるかもしれない。
しかしこの小説の真に恐ろしい部分は、彼女を殺人に駆り立てた明確な理由がないところである。
現在のドラマでなら不倫・保険金・憎しみなどが挙げられるが
彼女は夫を憎んでいるわけでもお金を盗もうとするわけでもない。
この物語が描こうとしているのは殺人ではなく、テレーズという不可解な女性が持つ空虚な穴の巨大さである。そしてこれは20世紀初頭を描きながら、非常に現代的であり、今もまさにこのような女性がどこかにいるのではないかと思わせる。おそらく人を殺すのに明確な動機というものはなく、様々な種類の不安の滴が複雑に心の池に溜まり続け、それが飽和点に達した時に起こるものなのかもしれない。

e0141635_1856091.jpg


原作者モーリアックは『テレーズ・デスケルウ』の冒頭でこう書いている。
「テレーズ、あなたのような女がいるはずはないと多くの人がいう。だがぼくには、あなたは存在しているのだ。長い歳月のあいだ、ぼくはあなたを探り時には追いすがり、その素顔をみつけようとしてきた」(遠藤周作訳)
つまりモーリアック自身も彼女の本当の考えをつかみきれないでいる。また彼女が頭がよく普通の結婚に幸せを感じられなかったのも要因と言える。しかしそのような不可解な闇をもつ人間こそ、本当に語るに値する人物なのだということだろう。そしてそんな人物を描いた本作は私の心を強く動かす。
訳者の遠藤周作もテレーズの姿を求めてランド地方に旅に出ている。

事件後の空虚な生活までも描いた作品
そしてこの映画の注目すべき点は、事件が解決して終わりではなく、「事件後の生活」に重きを置いているところである。夫への殺人未遂を起こした彼女は世間体を保とうとする夫の画策で免訴となるが、その後夫との夫婦生活を無理やりに継続させられ、幽閉生活の中で今まで以上の苦しみを受ける。そして幼い頃からの親友だった夫の妹アンヌとも深い溝ができ、誰も彼女に寄りつかなくなる。家族だけでなく地元の誰もが彼女が夫を殺そうとしたと思っている。それは事実だったが、何故殺人に至ったのかその理由が彼女自身にも分からない。

自由となって彼女が手にしたものは何だったのか
その後、ようやく自由の身になった彼女はカフェで夫と別れてパリの雑踏に消えていく。その自由は離婚をしないという制限付きの自由であったが、彼女はようやく自分の生活を見つけたのだと思う。しかしそれはどんな生活なのだろう。最後に彼女が見せたわずかな微笑みは何を意味していたのだろう。物語はそこで終わっているので、その跡の彼女の足取りはは分からないが、私には彼女の気持ちが少し分かる気がする。今の空疎な生活からどこかへ逃げたいという気持ちだ。しかし逃げたところで人生の解決策はどこにもない。その空しさを描いた映画なのかもしれない。人生という不可解なものに立ち向かう女性を描いた恐ろしくも考えさせられる映画であった。

映画と小説の違い
今回観た映画はほとんど原作に忠実に作られていて、観ていて心地よかった。フランスにあるランド地方の美しい松林。ランドとは「荒れ地」を意味し文字通り水はけの悪い荒野だったが、19世紀より松の森が植えられ美しい場所となった。その風景を映像として観ることができたのはよかった。
特にテレーズの少女時代の映像は非常に美しい。幼馴染のアンヌと松林の中を自転車で走り抜けるシーンや、湖に浮かぶ小舟の中で読書をするシーン。よき昔の回想シーンとしてじっくりと語られる原作と違いほとんど一瞬で終わってしまうのがもったいなかったが、2時間という制限の中では難しいのだろう。

一方、ランド県の美しい自然と対比されるのはそこに住む伝統を守る一家の色彩のない閉塞的な生活。松の森一帯を所有するデスケルウ家に嫁いだテレーズの空虚で演劇のような生活が静かに流れる。
オドレイ・トトゥの感情を隠したような人妻の演技はとてもよかった。幸せを知らず夫と表面的に付き合い、タバコを吸う彼女は美しい女性として描かれてはいない。しかし不思議な魅力がありスクリーンから目が離せない。

原作では彼女の殺人未遂が免訴となり、家路に帰るシーンから始まる。そこから過去の回想をして事件を起こすまでの経緯が語られる。それに対して映画では過去から現在への時間軸通りに物語が進行していく。活発で読書好きだった少女時代、結婚してからの空虚な生活、事件、幽閉生活、パリでの夫との別れ。物語の順序で言えば、やはり原作の構成のほうが面白いだろう。回想シーンで徐々に過去が明らかになっていき、全てが分かったところで、現実のクライマックスが訪れる流れのほうがダイナミックだ。しかしその違いを比較するのも楽しいし、これほど原作も映画も素晴らしい作品は稀である。

ちなみに『テレーズ・デスケルウ』は50年前の1962年にジョルジュ・フランジュ監督によって最初に映画化されている。そちらの作品もいずれ観てみたい。

e0141635_18435642.jpg

フランス映画祭2013の会場にて(上映作品のポスター)

『テレーズ・デスケルウ』(Therese Desqueyroux)
監督:クロード・ミレール
出演:オドレイ・トトゥ、ジル・ルルーシュ、アナイス・ドゥムスティエ
2011年/フランス/110分
[PR]
# by kou-mikami | 2013-06-30 19:05 | パリの映画
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで
久しぶりに村上春樹を読みました。
彼の新作が出ることは一つの大きなニュースであり、
それを読むことはどんな海外の風景よりも私を興奮させてくれます。
そのため、パリの記事とは関係ありませんが
ここで書かせていただきます。

e0141635_14213582.jpg


彼の作品を旅行でたとえるなら、
異国や見知らぬ遠くの土地へ飛行機で行くのではなく
近所に不意に出現した不可解な路地を散策する感覚。
どんな枠にもとらわれない奇抜な会話とストーリーなのに
自分の心の中にある不安と共鳴する音を持っています。

タイトルについて

『色彩と持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
最初は不可思議で長いタイトルだと感じていましたが、、
読んだ後には、この物語の重要な要素が全て詰め込まれた秀逸な題字だと思いました。
たしかに主人公は多崎つくるで、彼はたしかに色彩を持たないと自分自身を考えており、物語の中心はたしかにある意味で彼の巡礼の年になりました。
タイトルにはほぼすべてが凝縮されています。
それでいて読まなければ全く内容が分からないのが
彼の作品のすごいところでもあります。

主人公多崎つくるについて

主人公、多崎つくるはどこまでも村上春樹的な主人公。
36歳独身で、駅を設計するエンジニアの仕事についています。
都内に住んでいますが親からの資産があってお金には困らず、
女性にもそこそこもてますが体の内部に空虚を持っている。
人付き合いはいいけれど、いつも他人と距離をとっている。
家では洗濯をしアイロンをかけ、プールに泳ぎに行ったりする。
つまり、これぞ村上春樹という主人公です。
そのことが私を安心させ、すぐにその世界へ入って行けました。

物語のあらすじ(核心部分には触れていません)

物語は大学生時代の主人公が死を考えるところから始まります。
高校時代に仲の良かった5人グループの中に多崎つくるはいましたが、
ある時を境にそのグループから理由もなく追放されてしまいます。
それ以来、彼は仲間の誰とも会わずに東京で一人暮らしを続けます。
一時期は死を考えながらもかろうじて生き延び、卒業して社会人になります。
そして追放された理由も分からずに16年の歳月が流れます。
36歳になった彼はガールフレンドの助言を頼りに
追放された理由を求めてかつての仲間に会う旅に出かけます。

追放されなければならなかった理由を探ることが
この小説の一つの核でありミステリー的要素とも言えます。
しかしその理由が通常考えられるものではない世界に属するところが、
村上春樹の作品の質であり、彼にしか描けない多くの人に共感する
深い物語世界の秘密とも言えそうです。
そしてそこには普遍的で人生の示唆に満ちた思索が含まれています。
それこそが村上作品が世界中で読まれる理由だと思います。

あいまいで多義的で謎に満ちた会話

村上春樹と言えば、登場人物たちの会話にも特徴がありますね。
その会話は今回の作品でも健在です。
相手の謎を引き出すような問答や、曖昧で暗喩に満ちた説明、
ウィットの効いた比喩など、日本人の会話とは思えないものばかり。
しかも登場人物全員が同じような喋り方をするため、
主人公と話している時以外の場面ではわき役たちはどんな話し方をしているのか気になってしまうほど。
しかしそんな変わった会話が普通に行われていることこそが
村上春樹の世界の魅力でもあります。静かで強く恐ろしい。
その会話がなくなってしまったら、その作品の魅力も半減するでしょう。

『色彩を持たない多崎つくる・・・』の舞台設定

また舞台が日本だけでなくフィンランドも登場するところも
この物語に重層的でリアルな趣を与えています。
村上春樹にとって土地勘のある名古屋が主人公の故郷として
出てくるところにもリアリティがあります。

小説に登場する音楽について

そして今回もやはり音楽が重要なキーワードになってきます。
フランツ・リストの『巡礼の年』は「第1年」「第2年」「第3年」からなるピアノ独奏曲集。その中でも特に「第1年」に収録されている「ル・マル・デュ・ペイ」(Le Mal du Pays)はフランス語で「田園風景が呼び起こす哀しみ」という意味で、主人公が恋していた高校時代の友人がよく弾いていた曲です。この音楽がストーリーの中で大きな意味を持っています。小説のタイトルにある「巡礼の年」はおそらくこの曲名からとられています。

気になった点について

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで
気になった点が大きく分けて3つありました。
一つ目は最後まで解決されない謎です。
それはグループと別れてからできた唯一の友人、灰田の存在です。
彼は主人公と話が合い、よくつくるの家に遊びに来ましたが、
どこまでも謎に満ちていて、彼が話した自分の父親の逸話や、その後休学して主人公の前から消えるなど、彼の存在や意味がほとんど謎のまま物語が閉じられています。
(そんな謎があることが人生だと言われればそれまでですが)
小説全体のモチーフとなる音楽レコードを主人公の家に置いて行った彼がその後どうなったか、具体的な形では描かれていません。
私の読みが甘いせいかもしれませんが、その点が心にひっかかっています。

もう一つは主人公のガールフレンドの存在です。
彼の巡礼の旅のきっかけやアドバイスをくれる重要な存在ではありますが、
今一つ主人公が彼女に恋をする決定的な理由が見当たりません。
彼女は旅行代理店に勤めており有能ではありますが年上の男性とも付き合っているように見受けられる場面もあり、
彼女が主人公の中に占める大きさに納得できる特質があまりなかったように思えました。
つくるの心を大きく動かした彼女との出会いやエピソードがもっとあればいいなと個人的に感じました。

最後の一つは後半の物語におけるストーリーのスピードです。
小説は最初から最後まで深く興味深い旅ではありましたが、
もう少し後半で大きな衝撃や何かがあればよいなと思いました。
簡単に言えば、後半で若干スピード感が弱まるような感触を受けました。
言いかえれば説明的で概略的な文章が微妙に増えたような感じがしました。
しかしそれは読者それぞれの感覚によるものだと思います。
それにもましてこんな世界を読者に与えてくれる彼の筆力に
ただただ驚き、すでに次回作を期待せずにはいられません。

リンゴの味そのものではなく、リンゴというものの本質を味わせてくれるような
彼にしか描けない独自の不思議であまりに深い世界。
今回も素晴らしい小説を出してくれた村上春樹にただ感謝します。
[PR]
# by kou-mikami | 2013-04-20 14:37 | パリ関連・その他
レオス・カラックスの新作『ホーリー・モーターズ』
2013年1月27日渋谷ユーロスペースで
レオス・カラックスの新作『ホーリー・モーターズ』を観てきました。
長編としては前作『ポーラX』以来13年ぶり。

日本ではジュリエット・ビノシュ主演の『ポン・ヌフの恋人』の監督として知られ、
名優ドニ・ラヴァンと30年に渡って仕事をしてきたレオス・カラックス。
その彼が10年以上の沈黙を経て、衝撃的な新作を見せてくれました。

e0141635_9383768.jpg


『ホーリー・モーターズ』のストーリーについて

ストーリーはある男の一日を描いたSFともとれる物語。
大企業の重役であるオスカー氏はリムジンに乗り、朝からパリへ向けて移動する。
しかしパリへ着いた途端、彼は物乞いの老婆に変身しパリの橋をうろつき始める。
最初は単なる変装かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
彼はリムジンに戻るたびに次々に違う人物に「変身」し、その「人生」を真に生きていく。
物乞い、CG内のドラゴン、地底の怪物、殺人者、父親、年老いた富豪。その数11人。
様々な人生を肉体の躍動をもって生き、次の瞬間には別の人物へするりと変わっていく。
そしてその日最後に行き着く休息地も、明日への始まりのための仮初の宿でしかない。

最大の疑問点1:演技をやらせているのは誰か

映画自体がSF的なので現実的でない部分が多いのですが、
疑問に思った点があります。
それはオスカー氏が様々な演技をするように指示しているのは誰かということ。
変身メイクを行うリムジンにはマネージャーらしき女性運転手が同乗していますが、
その組織自体が何の目的で演技をやらせているのかは分からない。
しかしこれこそが読者に委ねられた疑問かもしれません。
それは人生とは何かが分からないように、その疑問を背負いながら
生きていかなければならない私たち自身への問いかけでしょう。

最大の疑問点2:オスカー氏以外の人間も演じているのか?

この映画の中ではオスカー氏だけが変身してパリの街を生きているように思えます。
しかしオスカー氏と出会った人々には、オスカー氏が何者かと訝る人はなく、
全員がオスカー氏をそこに生きる人間・家族として受け入れています。
それは何故なのか疑問でした。
しかし、途中で老紳士を演じたオスカー氏と親密だった女性が実は演技だったように
もしかしたら周りの人間全員がオスカー氏のような演技者なのかもしれません。
皆があのリムジンで変身しながら移動し、降りた先で別の人間を生きる。
それはまさに現代の私たちの生活をそのまま映しているようにも思えます。

映画の中の変身、人間の憧れと疲れ

上記の2つの疑問点を考えると、
この映画はまるで私たちの人生そのものを示唆しているかのようでした。
私たちは日々の生活の中で様々な役柄を演じています。
それはそのような人物でいたいという変身願望だと思います。
またはそのような役柄を演じなければならない社会の圧力です。
しかし、人間そう簡単に変身することはできず、結局元の自分に戻らなければなりません。
そのような人生を生きる人間の憧れと疲れを名優ドニ・ラヴァンが見事に演じています。
役から役へ変身する合間にテンションが若干下がって元の自分に戻るシーンが
印象的でした。それも日常的ですね。

印象的だったエピソード

11人を生き分ける彼の演技はどれも印象的でしたが、特に強く残ったのは
地底の怪物(短編『メルド』に出てきた怪物)と家庭の父親のエピソードでした。
墓場で見つけた美女をさらって地底に連れて帰る怪物の不器用な挙動が
神秘的でありリアル。ヨーロッパの宗教絵画を見ているような神聖ささえありました。
また怪物とは180度変わって、パリに住む一般家庭の父親も印象的でした。
娘をパーティー会場から自宅に送り迎えする父親が
見栄を張って嘘をつく娘に言った「お前は自分自身を生き続けるという罰を受けなればならない」というセリフはこの映画の本質そのものを言い当てている気がします。

面白かったエピソード

リムジン内で怪物に変装途中のオスカー氏(ドニ・ラヴァン)が
日本のと思われるお弁当を箸で慌ただしく食べている場面は
なんとなくカラックス監督の日本文化への小さな興味を感じられてよかったです。
また怪物が墓のお花をムシャムシャ食べる狂気ぶりも目に焼き付いて離れませんでした。

閉鎖中のパリデパート「ラ・サマリテーヌ」の映像美

また『ホーリー・モーターズ』は映像も美しく神秘的でした。
カラックス本人が登場する目覚めのオープニングからドニ・ラヴァンが最後に到達する休息の場所まで、パリを中心とした美しい世界を観客に見せてくれました。
特に閉鎖中のパリのデパート ラ・サマリテーヌの美しく退廃的な内部映像を観られたのは収穫でした。アールヌーヴォーの階段、そして屋上からのパリの眺め!
サマリテーヌデパートの中で主人公のオスカー氏は昔の恋人と再会します。
このときだけは変身していないオスカー氏の本当の姿が現れますが、
それでさえかつての恋人に「あのときの私たちは誰だったの?」と問いかけられ、
その後恋人は悲劇的な結末を迎えます。

ひたすら一人の人間の「変身」という行動を追い続けた異色の映画『ホーリー・モーターズ』
この映画は行為の主体である人間の「聖なる原動力」についての映画であり、
それは「真の生き方」を意味しているのかもしれません。


上映後の監督のインタビュー

映画上演後はレオス・カラックス本人が舞台に登場し、トークショーがありました。

―13年ぶりの長編映画制作について
とにかく早く新しいものを作りたかったとのこと。
そのため低予算、パリでの撮影に限定、ラッシュは見ないという原則で
この映画を作ったと言っていました。

―ストーリーについて
彼によれば『ホーリー・モーターズ』はSF映画を想定して作ったものだと言います。
主人公が11人の別の人間に変身する姿を追い続けた躍動感溢れるストーリーは
現実世界ではありえないだけにSF映画とも感じられましたが、その一つ一つの断片は
非常に日常的なリアルさを感じさせてくれました。
それだけに日常生活を別の側面から描いた物語ともいえます。

―30年来の仕事仲間であるドニ・ラヴァンについて
彼は友人ではないしプライベートでは一度も会ったことがないとのこと。
カラックス監督の家とドニ・ラヴァンの家とは200メートルほどしか離れていないらしいが、一緒に食事したことは一度もないというのには驚きました。
ドライな感じがしますが、クリエイティブな関係とは意外とそんなものなのかもしれません。

―自分が監督して寡作である理由について
自分自身が変わったと思えないと新しい映画が作れないと言っていました。
そして人間はそう簡単に変わることはできないとも。
そのためこの10年以上の間、新しい映画が作れずに気が狂いそうだった
と話していました。

―映画について
映画について大事なのは人間の動き、行為であると話していました。
なのでモーション・キャプチャーで作ったCGはすでに映画ではない。
ドニ・ラヴァンの肉体と動きは素晴らしく、彼の全てを撮りたいとのこと。

―俳優について
カラックスは俳優には興味はなく、あるのは我々自身についてだと言っていました。
彼の映画を観ると、そのことがよくわかります。

本当の自分などはなく、常に何かを演じ続けなければいけない嘘の人生と、
自分自身を変えることはできない疲れ。
カラックスの新作は人間の苦しみについての美しい映画でした。

ホーリー・モーターズ "Holy Motors"
(2012年/115分/フランス)
監督:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ、ミシェル・ピコリ、レオス・カラックス他
[PR]
# by kou-mikami | 2013-01-29 10:26 | パリの映画



パリ関連の記事やフランス映画を紹介するブログです。パリの写真・観光情報は写真サイト「パリの写真」を御覧ください。
by kou-mikami
パリの写真
カテゴリ
全体
フランス映画
パリの子供
パリの映画
パリの脇役
パリの動物
パリの中の異国
パリのアート
パリの街角
パリの落書き
パリのシルエット
パリ郊外にて
パリの作家・芸術家
パリ関連・その他
パリのお店
パリの公園
パリの文化
パリの小説
パリの演劇
未分類
最新の記事
ジャック・ドワイヨン『ラブバ..
at 2017-02-02 09:27
フランソワ・オゾン『彼は秘密..
at 2017-01-30 08:51
イングマール・ベルイマン『仮..
at 2016-02-05 19:21
ミシェル・ウエルベック『服従』
at 2015-12-11 08:15
ウジェーヌ・イヨネスコ『犀』
at 2015-11-22 12:20
以前の記事
2017年 02月
2017年 01月
2016年 02月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 08月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 09月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
「パリ、ただよう花」
from ここなつ映画レビュー
映画『ホーリー・モーター..
from INTRO
検索
タグ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧