一般論化するつもりはないが、映画で描かれるフランス人の家族は不思議だ。本音で言い合い、互いの関係が悪くなってもいつの間にか仲直りしている。自分の意見を主張し相手を認め合える個人主義の文化があると言えばそれまでだが、日本人からすると「そこまで言って大丈夫なの?」と思ってしまうときがある。 今回見た映画『真実』はそんな「本音の言い合い」を存分に見ることができる。国民的人気を誇る女優ファビエンヌが自伝を出版することになり、離れて暮らしていた家族が集まってくるところから物語は始まる。ファビエンヌの住まいはパリにある屋敷。現在のパートナー、有能な執事の3人で暮らしている。 出版祝いで集まってきたのは元夫のピエール、脚本家としてニューヨークに住んでいる娘のリュミール、その夫でテレビ俳優のハンクと娘シャルロット。 しかし、再開の喜びもつかの間、自伝に書かれていることは全て嘘だと娘のリュミールはファビエンヌに詰め寄る。母親にほとんど愛されてこなかったリュミールの記憶とは違い、ファビエンヌの自伝には良き母親としての側面が美化されて書かれていたのだ(リュミールは小学校時代の学芸会に母が来なかったことを今も根に持っている)。そしてライバルだった女優サラについては何も触れられていないことにも不満を持ち、サラの死は役を無理やり奪い取ったファビエンヌのせいだったと責める。しかしファビエンヌは全く動じず、「私は女優よ」と言って、美しく見せるためには嘘をつくことを当然だと主張する。そして良い母親として生きるより良い女優として生きる方がましだと言い捨てる。帰省してこのようなケンカ騒ぎはフランスならではだが、見ているこちらは関係が修復不可能になるのではないかと不安になる。 © L.Champoussin/3B/Bunbuku/MiMovies/FR3 Cinema 母娘の関係が悪化する中、自伝の中に自分のことが一言も語られていなかったことに失望した執事は屋敷を去り、ファビエンヌは気にする様子もなく映画の撮影に出かける。執事の代わりに撮影に同行することになったリュミールは、母ファビエンヌの演技を否が応でも見つめることになる。撮影中の映画は宇宙生活が普通になった近未来のSF映画で、ファビエンヌは宇宙生活が長くなって年を取らない母親を愛する娘の役。映画の中で進行する劇中映画の撮影シーンが面白い。しかもタイトルは『母の記憶に』だ。母親役は「サラの再来」と言われている新進女優のマノンで、才能豊かな若手女優に嫉妬しながらも、ファビエンヌは自分より若い母と会話をするという奇妙な関係の娘役を演じていく。実生活での母親と、映画の中での娘役という対比が生まれる中で、ファビエンヌは娘の気持ちに少しずつ寄り添っていく。 それにしてもこの映画はどこまでも女性の存在感が際立つ。それはカトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュというフランスを代表する女優2人が演じていることも大きく影響しているが、演出によるものもあるだろう。傲慢でプライドの高いファビエンヌとは対照的にどこか風来坊のような元夫のピエールは、影が薄い。リュミールの夫もそうだが、男たちの姿はどこか頼りなく、この映画では鳴りを潜めている。 結局のところ、自伝の出版によってなにか大きな真実や驚愕の過去が露わになるわけではない。そのような展開を期待して観る人は少々肩透かしをくらうかもしれないし、家族の問題についての答えを探している人も消化不良に終わるだろう。この映画で描かれているのは女優として生きてきた一人の女性とその家族の生活だ。彼女がなぜ自伝で嘘をついたのかは分からない。しかし、そもそも真実というものがあるのかどうか、この映画を観ていると分からなくなってくる。誰かを安心させるために嘘をつき、その言葉が人を動かす。確執を抱え続けてきた2人が和解するように見える最後のシーンも、どこまでが真実なのか誰にも分からない。そんなとき、誰もが人生の役者なのだと気づく。真実なんでどうでもいい、そこに家族がいれば。そう思わせてくれる映画だ。 『真実』("La Vérité")
監督:是枝裕和 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、マノン・クラヴェル 2019年/フランス・日本 #
by kou-mikami
| 2020-06-21 17:05
| フランス映画
ロードムービーを見たのはいつぶりだろう。家で過ごすことが多くなった現在、主人公と共に旅する映画は、最高の体験になる。しかし、今回見た『わたしの名前は…』は、単なるロードムービーではなかった。そこには旅の風景が描き出す自由な空気があったが、映画全体に流れるのは閉塞したフランス社会にある問題とそれが引き起こす悲劇だった。 ファッションデザイナーとして知られるアニエスベーの初監督作品。映画製作では本名のアニエス・トゥルブレで活動をしている。様々な機材を駆使して撮られたパッチワークのような映像は美しく、また本編とは関係のないようなコンテンポラリーダンサーや哲学を語る旅人のシュールな登場シーンに、アニエスベーの類まれな感性を感じた。しかしこの映画は美しい以上に、ひどく悲しく、そして深い思いやりと沈黙に満ちた映画であった。 ©Love streams agnes b. Productions 主人公のセリーヌは12歳の少女。両親と妹・弟と一緒に暮らしているが、生活は豊かではない。そして父親から性的虐待を受けていた。学校の自然教室に出かけたことをきっかけに家出をしたセリーヌは、たまたま見つけた大型トラックに乗り込む。そしてトラックの運転手とのあてのない旅が始まる。傷を負ったセリーヌはスコットランド人運転手であるピーターとのぎこちない会話の中で、徐々に心を開いていく。フランス語と英語、互いに言葉が通じない二人だったが、表情や沈黙で通じ合っていき、行く先々のカフェや自然の中で自由な時間を楽しむ。これはロードムービーの定番の流れともいえる。人間関係というのは、お互いに素性を知らないからこそ、穏やかで優しいものとなるもので、それが成立するのは旅の途上でしかない。しかし、そんな2人の旅も長くは続かない。娘の失踪を知った両親が捜索願を出し、警察による捜査が2人に迫っていた。そして純粋な自由を求めた物語は予想もしない結末を迎える。 最初私はなぜピーターがこのような行動をとったのか分からなかった。失踪した家出少女と分かっていながら、警察に連れていくことなくただ一緒に旅をする。優しさがにじみ出ていたが、彼の本当の目的が分からないし、その行動には不可解なことが多かった。その先にあったのは当然ともいえる悲しい現実だった。しかししばらくして、それはセリーヌの気持ちを深く思いやった行動であったことに気がついた。父親から虐待を受けていたという少女が抱える重い秘密を、秘密のままにしておく。ピーターはセリーヌと旅をしながら、彼女の名前も聞かず何も問わないことで少女を守った。この事件から数十年後、大人へと成長したセリーヌがあのときの旅について語る独白に一つの希望を見出す。この映画は男と女の沈黙の映画だ。 『わたしの名前は…』
監督:アニエス・トゥルブレ(アニエスベー) 出演:ルー=レリア・デュメールリアック、シルビー・テステュー、ジャック・ボナフェ、ダグラス・ゴードン、アントニオ・ネグリ 2013年/フランス #
by kou-mikami
| 2020-05-17 10:47
| フランス映画
7月にパリに行ってきました。 5年ぶりのパリです。撮影も5年のブランクがあったため、 不安と期待が入り混じっての撮影旅行となりました。 7月のパリは光にあふれ、一日は長く、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を思い出しました。 今年の夏は特に暑かったようです。 詳細は今後パリ観光サイト「パリラマ」のほうで更新していく予定です。 #
by kou-mikami
| 2019-08-13 22:51
| パリ関連・その他
時の流れはただただ美しい。 それは何故だろう。おそらくそこには変化があるからだ。堅牢な城も時の流れを経て崩れ、小さかった芽は緑豊かな大木となる。 人間も同じだ。小さかった子供が20年の時を経て大人になり、さらに30年を経て成熟した男女となる。20年ぶりに再会した男と女が美しいのは、お互いの人生に流れた時を尊重しているからだろう。しかし、それからさらに30年の時を経て同じ男女が人生の後半で出会ったとき、そこにはどんな会話が生まれるのだろうか。フランスの監督クロード・ルルーシュの最新作『男と女 人生最良の日々』はそんな男女の長い再会の物語だ。 時代は1960年代。男ジャン=ルイはスピード狂のレーサー。人生を生き急ぐかのようにラリーに取り憑かれている。女アンヌは映画制作の記録係。スタントマンの夫とともに好きな映画を仕事にしていた。パリに住む男と女は互いにパートナーを不幸な形で失った後、子供を預けているドーヴィルの寄宿舎でたまたま出会った。それが有名な『男と女』の物語だった。その20年後を描いた続編が『男と女II』であり、シリーズの3作目となる『男と女 人生最良の日々』はそれから50年後の奇跡とも言える再会を描いている。 しかしジャン=ルイの日々の記憶は消えようとしていた。80歳を過ぎて体力も記憶も衰えた彼は高齢者施設で暮らしている。自分を探しに来たジャン=ルイの息子から施設の場所を聞いたアンヌは、施設を訪れて彼の記憶を取り戻そうとする。緑あふれる高齢者施設の庭で交わす30年ぶりの二人の会話は、自然で奇跡的で美しい。しかし、そこには確実な老いがあり、記憶のすれ違いがあり、ある種のあきらめが含まれている。アンヌはジャン=ルイの記憶を取り戻すため、彼をドライブに誘いかつての思い出の地ドーヴィルを目指す。男も女も乗る車も昔と同じだが、世界は確実に変化している。交通規則は厳格になり、二人の運転はおぼつかない。 映画には主演の2人の他にも「男と女」が出てくる。ジャン=ルイの息子アントワーヌとアンヌの娘フランソワーズだ。彼女たちも両親と同じく久しぶりの再会で、そこには感動というよりは気恥ずかしさがある。しかし2人はすぐに意気投合し、互いの仕事の話をしながら仲を深める。アントワーヌは文筆業をして、フランソワーズは馬の専門医をしている。互いに自分の仕事に誇りを持っている二人の会話は聞いていて心地いい。そんな大人の会話を聞いていると、無邪気にはしゃいでいた50年前の2人とつい比較してしまい、時の流れに驚きを禁じ得ない。さらに驚くことに、この2人もジャン=ルイとアンヌと同じく、『男と女』に出てくる子供時代のアントワーヌとフランソワーズが演じている。つまり『男と女』の家族がそのまま50年後を演じているのだ。その圧倒的なリアリティを含んだ映画の空気感は唯一無二のものだろう。 後半からストーリーはまるで老いたジャン=ルイの頭の中のように夢と記憶が混ざり合い、それが本当に起こったことなのか曖昧になる。 しかし、スクリーンに映るのはノルマンディーの自然と2人の男女という確かな存在だ。大事なのは過去の事実の検証ではなく、あの日出会った男女が50年の時を経て同じ場所に存在しているという今だ。それは実際に『男と女』と同じ俳優が演じていることからフィクションを超えた強いリアリティを生む。印象的だったのは、かつて電話交換手を介して連絡を取り合い電報で愛を伝えていた2人が、ノルマンディーの浜辺でiPhoneを使ってセルフィーを撮る場面だ。そんな文明の道具の変化を描くことで、50年の月日が流れていることをさり気なく伝えている。あのときの2人が本当にその場所にいるという事実。クロード・ルルーシュ監督は日本初上映の時の舞台挨拶で「同じ監督が同じ俳優を使って同じストーリーを撮ること。これは映画史上ないことです」と自身の代表作である『男と女』のエピローグに当たる本作について語っている。 この映画は時の流れ、人間の存在そのものだ。記憶が失われかけても、思うようにいかなくても、人生は素晴らしい。 『男と女 人生最良の日々』"Les Plus Belles Années d'une vie"
公開:2019年 監督:クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch) キャスト:ジャン・ルイ・トランティニヤン(Jean-Louis Trintignant)、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée)、スアド・アミドゥ(Souad Amidou)、アントワーヌ・シレ(Antoine Sire) 音楽:フランシス・レイ(Francis Lai) #
by kou-mikami
| 2019-06-29 11:49
| フランス映画
クロード・ルルーシュの名作『男と女』の続編があると知ったのはつい最近のことだ。 あの美しいラストのあと、2人がどうなったかは本来観客の想像に任せる部分であるが、続編『男と女II』"Un homme et une femme : Vingt ans déjà"は大胆にも2人の20年後を描いている(それがいいことなのかどうかは評価が分かれるところだろう)。 映画は派手なカーレースから始まる。まるで短い人生を早回しで生きようとするかのように飛ばしている。 ジャン=ルイはいまだにカーレーサーの仕事をしていることが分かる。昇進し、パリ・ダカールラリーの総監督をしている。年はとって中年になったが仕事も恋も現役のようだ。そしてあの時小さかった子供はすでに成人し、映画の中では結婚直後の様子が描かれる。そして驚くことに息子の妻の妹が今のジャン=ルイの恋人なのだ。この設定にかなりの突飛さを感じたが、フランスではありえるのかもしれない。おそらく、若い女性とすでに若くないアンヌとの対比を描くためにこのような設定にしたのではないだろうか。 対するアンヌは映画のスクリプター(記録係)からプロデューサーに昇進しているが、今制作中の映画はトラブル続きのようで疲れ気味だ。そんなとき、娘で舞台女優のフランソワーズが自身の出演する劇場でジャン=ルイを見たという話を聞く。果たしてこの展開にリアリティがあるかというと疑わしい。当時幼い少女だったフランソワーズが20年ぶりに見かけたジャン=ルイをすぐに識別できたことには違和感を感じる。 とはいえ、それをきっかけにジャン=ルイとアンヌは20年ぶりに再会した。久しぶりに彼に会って感極まったアンヌは、ジャン=ルイに20年前の2人の出会いを映画化することを提案する。最初は断ったジャン=ルイだったが、2人の過去をなぞるように映画制作を手伝うようになる。それと時を同じくして、精神病棟から患者が逃亡する事件が起きる。一見映画の筋と無関係のように思える展開だが、それは次第に2人の映画制作に関わってくる。 今回は続編だけあって、前作の回想シーンも多用されファンには嬉しい。その一方で、やや前作を美化しすぎていて説明的な部分が多く、また話が突飛過ぎる面もあり、今までなかったサスペンス要素が混じり合って違和感があった。なんだか有名となった前作の知名度を借りて、無理に作り上げたような印象も残る。 しかしこの映画で貴重なのは、『男と女』を撮った20年後に同じ監督が同じ男女の俳優を使って続編を完成させたこと。これは並大抵のことではないし、すでに若くはない2人の男女の恋愛をどう描くがについても様々な壁があったはずだ。 私はこの映画を見ながら、まるで『大人は判ってくれない』の続編であるドワネルシリーズを見るかのような興奮があった。そこに物語展開の強引さがあっても私は目をつぶりたい。前作の舞台であったドーヴィルの海岸やホテルが出てきたことも懐かしさを覚え、変わりゆく男女と変わらない自然風景の対比が印象的だった。 同じ男女が20年後に出会う。その存在をスクリーンに映すだけでも、それは奇跡に違いない。 そしてその奇跡はさらに30年後にも再び実現した。2019年に『男と女Ⅲ』が完成し、『男と女』から53年後の2人の新たな再会が描かれる。 『男と女II』"Un homme et une femme : Vingt ans déjà"
公開:1986年 監督:クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch) キャスト:ジャン・ルイ・トランティニヤン( Jean-Louis Trintignant)、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée) 音楽:フランシス・レイ(Francis Lai) #
by kou-mikami
| 2019-06-28 09:34
| フランス映画
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